昨日は千葉での仕事で、銚子から潮来廻りで帰ってきましたが、久しぶりに合計5時間位の運転で、帰った時には流石にヘトヘトでしたが、充実感溢れる一日でもありました。
帰りの高速に乗る前にガソリンを満タンにしておこうと思い、セルフのスタンドに入ったのですが、給油が終わるとパネルの画面がスロットに変わり、BAR BAR BARが並んで「おめでとう!2等賞です!2円値引き!」。
うーん、エコカーに換える前に当たりたかった、、、。
そう言えば、先週の『ポジティブ・サイコロジー(前向き心理学)』の最後に、『人吉城歴史館の中に謎の地下室があり、とにかく寸暇を惜しんで、それを見たいと思い行ってきました。』と書きました。
中小企業大学校のご担当のO氏からメールで、「この歴史ミステリーを解き明かして、HPにUPせよ!」との厳命が下りまして、「あ、あまりに忙しすぎて、全く考えるような余裕がなかったー、、」とブツブツ。
まずは少し背景から書くと、「人吉城歴史館」は平家落人伝説で有名な熊本県人吉市に670年続いた相良藩の人吉城跡の一角にあり、2005年末のオープンという、比較的新しい歴史館です。
鎌倉時代からの相良藩の歴史や、居城であった人吉城跡の構造や特徴の解説や様々な馬具や武具などの歴史的展示品もあります。
相良藩の歴史は、800年余り前の源頼朝の時代に遡りますが、時の相良長頼が源頼朝の命でこの地を統治したことから、永永と続いていきます。
薩摩の島津に敗れたり、秀吉に敗れたりという紆余曲折はここでは省くとして、九州内陸の人吉盆地は天然の要塞であり、明治4年の廃藩置県まで支配を続けたということです。
「人吉城歴史館」の施設内には、1998年の発掘調査で発見された「井戸のある地下室遺構」が整備保存され、井戸の底からは一振の日本刀も発見されています。
この地下室は、家老・相良清兵衛頼兄の屋敷内の、二階建ての「持仏堂」の位置にあったと言われていますが、
「何故、地下室を掘り、その中に井戸まで掘ったのか。このような地下室は世界的にも発見例がないという」
「長男内蔵助屋敷跡にも、同様の地下室があるのは何故か」
「一体何のために造ったのか」がミステリーです。
相良藩は、21,000石もの新田開発に力を注ぎ、産業政策にも力を入れていたようです。
また、舟の航行が不可能とされていた日本三大急流の一つである球磨川は、商人の林正盛が寛文5年(1665年)に改修工事を完成させ、これによって河口の八代までの産物運搬の水路としての機能が確保されました。
しかし、内紛も多い藩だったようで、権力を強めていった家老・相良清兵衛頼兄に、藩はその専横を幕府に訴え裁可を仰いだそうです。
頼兄は江戸へ召還され小田原藩仮預かりとなり、この間に江戸屋敷より国許への使者として神瀬外記、深水惣左衛門が遣わされ、その内容は、「頼兄の養子である田代半兵衛頼昌を引き続き藩士として取り立てる」というものであったそうですが、半兵衛は既に頼兄の処分を知っており、「お下屋敷」と呼ばれる頼兄の屋敷に呼ばれた外記と惣左衛門は半兵衛らに襲われました。
惣左衛門は何とか無事に逃げたのですが、外記は捕えられて全ての指を切られた上で殺害されたようです。
そして頼兄の一族はお下屋敷に立て籠もり、藩兵がこれを取り囲んで戦闘となり、頼兄の一族全員が討ち死にか自害によって、一族全員121名が死亡したといいます。
これが「お下の乱」と呼ばれる事件ですが、事件直後に埋められた「井戸のある地下室」が近年になってから発掘され、
「キリシタン禁制の時代、隠れキリシタンの礼拝堂では?!」
「いや薩摩藩と同じく、浄土真宗本願寺派禁制だったし、「持仏堂」の地下だからそちらの方かも?!」
「事件直後に地下室が埋められたということは、日本伝統の崇りと畏れの文化か、、、」
「井戸に沈められていた一振りの日本刀に込められた想いや意味とは、、、」
まあ諸説紛々でしょうが、私は「やりたい放題やっていた家老・相良清兵衛頼兄ですから、いつかは攻められることも予想して、身を隠して生きながらえるためなのじゃないのかなー?!」と思いましたが、、、やはり謎。
結論!「後は歴史学者に任せて、本業に戻ります!」
人吉は飲んでも食べてもリーズナブルで、実に旨いですから、歴史ミステリー・ファンの方は是非一度足を運んでみてください。
さて、本業に戻って、、、「成熟経済」という、大きなターニング・ポイントに突入して久しい日本ですが、あらゆる商品やサービスが、「成熟した市場」に溢れかえっています。
このような経営環境の中では、企業は全社員の知恵と努力の総力を上げて、「存在価値」を高めることに注力しなければなりません。
「品質」「技術」「機能」「斬新なデザイン」「コスト・パフォーマンス」「デリバリー・システム」「サービス」「ソフト」、、、、と、様々な観点から「新しい価値創造」を果たすことこそ、「存在価値競争」に勝ち残ることにつながります。
しかも、「顧客の要求水準も年々厳しいものになっている」という企業も多いものです。
成熟した市場でも、全く新しい「品質」「技術」「機能」「斬新なデザイン」「コスト・パフォーマンス」「デリバリー・システム」「サービス」「ソフト」などを開発できれば、「新しい存在価値」を生み出すということはできるでしょうが、容易なことではありません。
成熟した「事業」や「商品」「サービス」などを、「新たな成長路線」に引き戻すために、どんなことをやればいいのかということを考える方が近道であることも多いと思います。
P.L.C.(プロダクト・ライフ・サイクル)は、「事業」や「商品」「サービス」が<研究開発期>で生み出されてから<市場導入期>で市場に投入・導入され、<成長期>には大きく業績貢献して、やがて<成熟期>を迎えて、最後には<衰退期>から<寿命>を迎えるというものです。
もちろん「事業」や「商品」「サービス」によって、そのサイクルは成熟状態を保ち続けるものや「一発屋芸人」の如く超短命に終わる「流行りもの」まで多様です。
「事業」や「商品」「サービス」をいかにして磨き直すのか、全く違う使途を考えたり、これまで考えもしなかった顧客業界開発をするのか、「常識」を逸脱させてみて考えることにも価値があります。
昨日伺った企業でも、これまでかなり色々な努力をしてこられていて、「次のテーマの1つはこれだな」と強く感じました。
いかに「非常識」「未常識」な発想をしてみるかという時に、「やんちゃな社員」の発想が役立つことがあります。
自由な発想・自由な発言を抑え込まずに、どんどん飛び出してくるような社内環境を整えていきましょう。
私がマーケティングのお手伝いをしている企業でも、「鳴かず飛ばずだった社員」が豹変して、「本人の新たな成長期」に突入するということもあります。
『「鳴かず飛ばずの社員」とは失礼な!』、とお感じになる方もいらっしゃるかも知れませんが、大丈夫です。
このお役立ち情報を読まれる方は、ほぼ100%「鳴いて」「飛ぶ」人たちになっているはずです。
でなければ、「この行まで読み続けることに耐えられない」と確信しています。
2012.7.3. ビジネススキル研究所 鶴田 慎一 拝