一昨日、羽田から関空に飛び、大阪に行っておりました。

 今年、私の研修を受講していただいた超優良企業の幹部のKさんと、なんばで旨いお酒を飲みました。

 研修の時には一応立場は「講師と受講生」ですが、その後は事ある毎に色々なお話をしながら楽しいお酒を飲む仲になっています。

 謙虚で聡明にして素晴らしい人間性の方で、年は一歳先輩なのですが、今や所謂「マブダチ」です。

 色々な業務遂行上の苦労話や顧客との関係構築の想い出話など、お互いにとても勉強になりますし、当たり前のこととはいえ何より双方がお互いを認め合っているからこその良好な関係が構築できているのでしょう。

 現代社会においては、特に「相手の利用価値」や「付き合いの損得勘定」という打算の人間関係が多いだけに、「この人、生涯の友だなぁ」と感じることのできる人との出逢いは貴重です。

 いい出逢いを求めることもさることながら、「出逢いを大切にしていくこと」で、随分人生はブラッシュアップやポリッシュアップされていくんだと、また改めて感じるところです。




 さて話は変わって、なんばからの帰りに南海電車に乗って、社内の中吊り広告に目をやると、なんばパークスのクリスマス・イベントの広告がありました。

 見つめ合うカップルの写真の横にキャッチコピーが、
「イエスの日だから、ノーはなし」。

 うん、なんだかストンと入ってくる。 なんか素敵。



 商品やサービスのネーミングやキャッチコピー、デザイン・イメージカラーというは、本当に大事です。

 せっかくいい商品やサービスを開発しても、イマイチのネーミングやキャッチコピーを付けらけてしまうと、かなり大きな遺失利益を発生させてしまうでしょう。

 「こんなのでいいんじゃないか?!」という安易なものも目立ちますが、商品・サービスが完成した後のとても重要なマーケティング戦略ファクターを軽視しては、「労多くして功少なし」「労多くして益少なし」ならばまだいいけど、「労多くして赤字尚多し」ということにも。


 この部分は単に担当者が眉間にしわを寄せて考えるより、私のような外側の目や顧客そのものの目、そして何より面白がって取り組むメンバーに担当させるべきでしょう。

 そういう意味でのフレキシビリティー、つまり柔軟性や融通性に富んだ組織の運用をすべきです。

 合理的経営管理手法は優れているとはいえ、決して万能ではなく、時にはアダになるものです。



 単純に例えてみると、「営業の欠員を募集」するとします。

 仮に採用広告を出すとして、「どの部署の誰が書くの?!」と聞くと、「そりゃ先生、当然人事部の担当者ですよ。」と返事が返ってくることが普通ですが、本質的なところで考えてみるべきです。

 「新たに入ってくる営業の新人君を使うのは誰?!」「指導するのは誰?!」「上司としてどんな部下が欲しいの?!」、、、つまり実際に採用後に一番強く深く関わる人が、募集広告から関わることなのです。

 募集広告1つにしても、そこに書かれた言葉には「言霊」が存在するのです。


 実際にその人員募集の後で、仕事上一番関わる人の想いを言葉にしていかなければなりません。

 大切なところまで効率化・省力化してしまうのは、現代の経済合理主義の大きな欠陥です。


 これまで多くの会社とお付き合いしてきて、そのような事例はたくさんあります。

 たとえば部門毎の社員教育プログラムを作るのに、当該部門の意見を吸い上げずに管理部主導で作ってしまうなど、形を整えることが重視されて本質的課題が希薄になるなど。

 課題の目的・目標に対して、フレキシビリティーのある手段を用いることは当然のことなのですが、悲しいことに権限や主導権を争うようなセクショナリズムがあると、その手段が失われてしまいます。

 答えの出し方は、「今、うちの会社にとってベストの方法・手段は何か。」ということです。

 部門の都合や個人の都合は二の次≪全社最適の論理≫なのです。

 気を付けないと、民間企業なのに年々仕事が「お役所仕事」になってしまうという現象が拡がると、企業風土は硬直化していき、組織の活力は低下していきます。

 自分の頭のてっぺんにできた10円ハゲみたいなもので、毎日鏡を見ていても前からしか見ないので気が付かないのです。



 ところで、昨日は堺で紀陽ビジネスクラブのセミナーでしたが、テーマは『若手・中堅社員の「仕事力アップ」セミナー』で、受講者は若手社員の方から役員の方も数名いらっしゃいました。

 やはり厳しい時代だからこそ、自分自身がより大きな戦力になりたいという使命感が感じられ、素晴らしい受講姿勢で、充実感あふれる一日でした。


 私が泊まった堺のホテルの部屋からは世界三大墳墓の一つである仁徳天皇陵が見えたのですが、上空から見ないと前方後円墳の姿ではなく、山と丘と森のある風景といった感じです。

 職業病というか、なんというか、、、頭を巡り始めました。

 「あの時代の土木技術で、延べ何人の人がどのくらいの期間掛けて作ったのだろう?」

 「それより何より、その労働者の食糧補給はどうしたのだろう?」

 「ロジスティックの能力が低い時代だから、その近辺でそれだけの食糧生産をする必要があった!凄い耕地面積と生産量!」

 「古代にそれだけの政治的動員力を持っていたということは、単に武力の強さや財力でもないだろう。その思想的背景を知りたい。」

 うーん、次回堺に行ったら、仁徳天皇陵の周りを散策しながら思いにふけってみたいと思います。



2011.12.15.  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一 拝