ビジネススキル研究所公式ブログ

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2011年12月

自信と誇りある「望年会」

 年末が迫ってまいりましたが、私は会議・打ち合わせ・株主総会など、終われば忘年会に雪崩れ込むという日々になっております。

 忘年会と言えば、このところ「『望年会』に名称を変えましょう」と働きかけています。

 「忘年」と言えば、「憂さ晴らし」や「過去のことは忘れて、、」というような若干ネガティブな響きを感じてしまうので、もうすぐやってくる「明るい近未来を望む決起集会」のようなものにしたいですね。


 という忙しいお酒のスケジュールの合間に、病院に定期検査に行きました。(お酒の合間に行く類のものではないですが、、。)


 今回の採血は初顔合わせの看護師さんで、とても優しそうでいい人に見えるのですが、決定的な問題がありました。
「鶴田さん、それでは採血をしますので、腕を出してくださいね。」

 気が利く私は、
「左腕は血管が出にくいらしいので、右腕を出しますねー。」

 看護師さんは、
「ありがとうございます。でも自信ないんですよね。痛いと思いますよ。跡がアザみたいになったことあります?!」

 私は、
「なったことはあるけど、そんなのって滅多にないですよね。」

 看護師さん、
「今日はなると思います、、。自信ないんです、、。」


 短いやり取りの中で、「自信ない」を5回も聞かされると、「きっと痛いに違いない」「半端なく下手なのだろう」というイメージが確立していきます。

 そして注射針を刺した瞬間、過去最高レベルの痛みに、私は思わず小さな声で、
「うっ、痛てー。」

 彼女は、その声が聞こえなかったのか、
「あー、良かった。入りました。」

 採血容器の中に勢いよく血が放出され、
「ではもう一本採りますからね。」

 と言って、次の容器を差し込んでから、よそ見でもしていたのか、私が、
「あのー、血が容器に入ってないみたいですけど、、。」と言うと、

 「あっ、いけない。」
と少しだけ注射器を引きました。

 注射針はどうも私の血管を貫通していたようです。

 ついでに針を抜く時にも痛かったというオマケ付き。

 彼女はどう見てもベテランの部類に入る年恰好なのですが、長年ずっと「自信がない」と言いながら、注射してしてきたのかなーと思うと、かわいそうな気分。

 回ってきたお客様(患者)に注射を打つから続いてきたのでしょうが、この自信のなさでは自分でお客様(患者)を開拓することは難しいでしょうね。



 どんな仕事にもいえることですが、プロが「自覚」と「自信」を持って仕事をするということは、顧客からすれば「当たり前のこと」なのです。

 「自覚」と「自信」を持って仕事に向かい、今の仕事に「誇り」と「自負」を持つということは、皆さんには釈迦に説法かも知れませんが、実は潜在的にはそれが持てない人がたくさんいるのです。

 「仕事が上手くいかなかったらどうしよう」という恐怖感で自信を持てない人もいますが、「ミスをしてから」しか恐怖を感じないという人もいます。

 いずれも困ったものです。


 自信を持つということは仕事の推進力を高めて、挑戦意欲も高めてくれます。

 そこで積み上げられた「成功体験」は仕事力のベースになってくれ、挑戦していく上での「失敗体験」は今後の肥やしになってくれるのです。

 「自覚」「自信」「誇り」「自負」が背景にない「失敗体験」は、またもや自信喪失を増長するものとなるでしょう。


 ポジティブ・イメージなしでは自信を育てていくことは難しいでしょう。

 しっかりと前を見据えて、しっかりと明るい来年を展望して、いい「運命」を切り拓いていきましょう。

 「命」を「運んでいる」のは紛れもなく「自分」なのですから、「運命」は自分の考え方と取り組み方次第なのです。

 さて、また今から「打ち合わせ&望年会」です。

 「鬼が笑う」どころか「鬼が笑い転げて動けなくなるほど」、明るい来年の展望を話し合ってきたいと思います。



2011.12.21.  ビジネススキル研究所  鶴田慎一 拝

フレキシビリティー(柔軟性・融通性)に富んだ組織の運用

 一昨日、羽田から関空に飛び、大阪に行っておりました。

 今年、私の研修を受講していただいた超優良企業の幹部のKさんと、なんばで旨いお酒を飲みました。

 研修の時には一応立場は「講師と受講生」ですが、その後は事ある毎に色々なお話をしながら楽しいお酒を飲む仲になっています。

 謙虚で聡明にして素晴らしい人間性の方で、年は一歳先輩なのですが、今や所謂「マブダチ」です。

 色々な業務遂行上の苦労話や顧客との関係構築の想い出話など、お互いにとても勉強になりますし、当たり前のこととはいえ何より双方がお互いを認め合っているからこその良好な関係が構築できているのでしょう。

 現代社会においては、特に「相手の利用価値」や「付き合いの損得勘定」という打算の人間関係が多いだけに、「この人、生涯の友だなぁ」と感じることのできる人との出逢いは貴重です。

 いい出逢いを求めることもさることながら、「出逢いを大切にしていくこと」で、随分人生はブラッシュアップやポリッシュアップされていくんだと、また改めて感じるところです。




 さて話は変わって、なんばからの帰りに南海電車に乗って、社内の中吊り広告に目をやると、なんばパークスのクリスマス・イベントの広告がありました。

 見つめ合うカップルの写真の横にキャッチコピーが、
「イエスの日だから、ノーはなし」。

 うん、なんだかストンと入ってくる。 なんか素敵。



 商品やサービスのネーミングやキャッチコピー、デザイン・イメージカラーというは、本当に大事です。

 せっかくいい商品やサービスを開発しても、イマイチのネーミングやキャッチコピーを付けらけてしまうと、かなり大きな遺失利益を発生させてしまうでしょう。

 「こんなのでいいんじゃないか?!」という安易なものも目立ちますが、商品・サービスが完成した後のとても重要なマーケティング戦略ファクターを軽視しては、「労多くして功少なし」「労多くして益少なし」ならばまだいいけど、「労多くして赤字尚多し」ということにも。


 この部分は単に担当者が眉間にしわを寄せて考えるより、私のような外側の目や顧客そのものの目、そして何より面白がって取り組むメンバーに担当させるべきでしょう。

 そういう意味でのフレキシビリティー、つまり柔軟性や融通性に富んだ組織の運用をすべきです。

 合理的経営管理手法は優れているとはいえ、決して万能ではなく、時にはアダになるものです。



 単純に例えてみると、「営業の欠員を募集」するとします。

 仮に採用広告を出すとして、「どの部署の誰が書くの?!」と聞くと、「そりゃ先生、当然人事部の担当者ですよ。」と返事が返ってくることが普通ですが、本質的なところで考えてみるべきです。

 「新たに入ってくる営業の新人君を使うのは誰?!」「指導するのは誰?!」「上司としてどんな部下が欲しいの?!」、、、つまり実際に採用後に一番強く深く関わる人が、募集広告から関わることなのです。

 募集広告1つにしても、そこに書かれた言葉には「言霊」が存在するのです。


 実際にその人員募集の後で、仕事上一番関わる人の想いを言葉にしていかなければなりません。

 大切なところまで効率化・省力化してしまうのは、現代の経済合理主義の大きな欠陥です。


 これまで多くの会社とお付き合いしてきて、そのような事例はたくさんあります。

 たとえば部門毎の社員教育プログラムを作るのに、当該部門の意見を吸い上げずに管理部主導で作ってしまうなど、形を整えることが重視されて本質的課題が希薄になるなど。

 課題の目的・目標に対して、フレキシビリティーのある手段を用いることは当然のことなのですが、悲しいことに権限や主導権を争うようなセクショナリズムがあると、その手段が失われてしまいます。

 答えの出し方は、「今、うちの会社にとってベストの方法・手段は何か。」ということです。

 部門の都合や個人の都合は二の次≪全社最適の論理≫なのです。

 気を付けないと、民間企業なのに年々仕事が「お役所仕事」になってしまうという現象が拡がると、企業風土は硬直化していき、組織の活力は低下していきます。

 自分の頭のてっぺんにできた10円ハゲみたいなもので、毎日鏡を見ていても前からしか見ないので気が付かないのです。



 ところで、昨日は堺で紀陽ビジネスクラブのセミナーでしたが、テーマは『若手・中堅社員の「仕事力アップ」セミナー』で、受講者は若手社員の方から役員の方も数名いらっしゃいました。

 やはり厳しい時代だからこそ、自分自身がより大きな戦力になりたいという使命感が感じられ、素晴らしい受講姿勢で、充実感あふれる一日でした。


 私が泊まった堺のホテルの部屋からは世界三大墳墓の一つである仁徳天皇陵が見えたのですが、上空から見ないと前方後円墳の姿ではなく、山と丘と森のある風景といった感じです。

 職業病というか、なんというか、、、頭を巡り始めました。

 「あの時代の土木技術で、延べ何人の人がどのくらいの期間掛けて作ったのだろう?」

 「それより何より、その労働者の食糧補給はどうしたのだろう?」

 「ロジスティックの能力が低い時代だから、その近辺でそれだけの食糧生産をする必要があった!凄い耕地面積と生産量!」

 「古代にそれだけの政治的動員力を持っていたということは、単に武力の強さや財力でもないだろう。その思想的背景を知りたい。」

 うーん、次回堺に行ったら、仁徳天皇陵の周りを散策しながら思いにふけってみたいと思います。



2011.12.15.  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一 拝

『日暮硯(ひぐらしすずり)』 PART Ⅱ.

 延享3年(1746年)家督を継いで松代藩の家老職の末席についた恩田木工民親(おんだもくたみちか)の心打たれる仁政の物語の続編です。

 というより、『日暮硯(ひぐらしすずり)』の本編に入るというのが正しいのですが。


 さて、松代藩の財政赤字がいよいよ深刻の度を深める中、「鳥籠の教訓」と言われる逸話をご紹介した若き名君真田伊豆守幸弘は、この逼迫した藩政改革を成し得る人物を探していました。

 「自らの覚悟を示して、部下に仕事を任せる」とは言え、そうそう簡単にその様な人物も見つかる訳がありません。

 前述もしたように、優秀な部下であっても、とかく立場と権力を手中に収めると、その上に胡坐をかいて自滅していくことが多いのは「人の性」ともいえることであり、「本気の覚悟と使命感のチェーン・リアクション」を創るには余程の人物でなければなりません。

 そんな時、恩田木工民親のことが耳に入ります。

 先代が財政改革を託した田村半右衛門の悪政に追い詰められた百姓たちが大一揆を起こし、田村は女装したり剃髪して僧を装ったりして、何とか江戸へ逃げ延びました。

 大百姓一揆の徒党は七十三ヵ村から二千人以上という大規模なもので、先代の信安は「首謀者を引っ捕らえて、死罪を申し付けい!」と激怒していました。

 まして信安は死期が近い病床にあって、その苛立ちは怒りを増幅させていったことでしょう。

 重臣たちは信安に「お体に障りますから、お仕置きのことは我等にお任せくだされ。」と言い、場を変えて一揆の始末について話し合いました。

 「殿は死罪にしろと仰せだが、気が進まぬことじゃ。この始末がまた次の大一揆を誘発して、御国は大変なことになる。」と口々に、刑罰への消極論が続きました。

 しばらくして、意見を言わず黙り込んでいた恩田木工民親が口を開き、
「拙者とて気が進まぬことです。百姓は国の宝です。一人一人では力はないが、団結した時にはとんでもない力になります。」

「ここは禍転じて福となす。一致団結した百姓の力を御国の立て直しに使いましょう。」と意見し、賛同を得たのでした。

 しかし、問題は「死罪にしろ!」と怒り心頭の殿への報告をどうするかだったのですが、殿の病状も悪化の一途だったため、「時を待つ」という結論に達したようです。

 ほどなく信安は亡くなり、若き名君真田伊豆守幸弘が松代十万石藩主となるのです。

 どうにかして藩を立て直したい主君真田幸弘でしたが、原八郎五郎や田村半右衛門に託して失敗した父の轍は踏みたくないと考えあぐねているところに、この一揆の始末の時の恩田木工民親の発言が耳に入ってきたのでしょう。

 真田幸弘は藩内の人財を発掘すべく、家中の優秀な家臣たちと次々に面接し、一揆の始末の時の「百姓は国の宝」という恩田木工民親の言葉に、藩政改革を託せる人物としての確信を持ったようです。


 この家中の逸材である恩田木工民親に執政を任じるべく親戚筋などに根回しをして、江戸屋敷に重臣や諸役人を呼び寄せて、親戚筋の代表から通告してもらうことになりました。

 当然、末席の家老であった恩田木工民親が幹部たちに指示命令を下す立場になる訳ですから、重臣たちが反抗できないように大胆かつ慎重に事を進めたということでしょう。


 さて、話はかなり端折っていますから、詳しいストーリー展開を読みたい方は是非とも書店で『日暮硯』を手に取ってみていただきたいと思います。

 肝心のところをシンプルに書き、皆さんの自己啓発意欲を刺激したいというのが、この新着お役立ち情報を書く上での私のポリシーでもある訳ですが、ここから恩田木工民親の『君君たれば臣臣たり』のエキスを書きたいと思います。


 藩の再建を託された恩田木工は一度は辞退するのですが、親戚筋の面々から強く厳しく申し付けられ、断りきれず引き受けます。

 その際、「何か願い出ることがあれば申せ。」と言われ、
「老職から諸役人に至るまで、私の申すことに一切の反対をせずに実行するという書付をこの場で書いていただきたい。」

 「私も、拙者に不忠のことあらば、どのようなお仕置きも受けるとの誓詞を書いて差し出しまする。」と覚悟を述べ、誓詞を交し合ったのです。

 しかも国に戻ってから、
「妻には離縁」
「子供たちは勘当」
「家来たちにはクビ」
「親戚とは絶縁」
を言い渡して、皆を驚愕させます。

 恩田木工の一大決心は、
「私は今後一切嘘はつかない。もしも身内や家来が嘘をついたとしたら、二枚舌と疑われ、この大役は勤まらない。」という固いもので、続けて

 「平素、飯と汁以外は漬物さえ食わない。今の着物を着古すまで着たら、後は木綿の着物しか作らない。家族も家来もご馳走が食いたかろうし、いい服も着たいだろう。最低限の経費より余るものはお上に返納する。」と、改革への凄まじい決意を述べたのです。

 しかし、妻・子供・家来・親戚一同とも「自分たちも同様の生活をする」と、「誓詞を入れて確約する」として、その命に従わず、誰一人として縁を切る者がいなかったといいます。

 ここまでの覚悟を示し、嘘を言えば直ちに腹を切るという凄みは、これまで不正を働いていた奉行や役人などをも突き動かし、松代藩から不正は根絶されていくのです。

 先代の時の贈賄・横領などの汚職横行があったため、余計に誰もが青天の霹靂と感じたでしょうが、「嘘をついたら腹を切る」という恩田木工の覚悟の凄さの前では無力だったでしょう。


 さて、一方のキーパーソンは百姓をはじめとした多くの民であります。

 恩田木工は庄屋・百姓・町方・組頭・町人、老職・諸役人も連座させて、
「私は決して嘘はつかない。」

 「祝儀・不祝儀をはじめ、一切の進物は受け取らない。役人に対しても同様だし、役人同士の進物を交わす風習も一切やめてほしい。」

 「九百人もの足軽が年貢の取り立てに乗じて、無理難題を吹きかけたり、乱暴を働いているというが、今後は一切年貢の取り立てなどには行かさない。」

 「百姓たちの公共工事の人夫役などへの役務も一切を免じる。」

 「年貢の先納や先々納などの、役人からの不当な要求は一切やめさせる。」

 「今後は無理な御用金を申し付けることはしない。」

 「年貢の未納は赦免するが、今後は米の一粒たりとも未納があれば刑罰に処す。」
と、民百姓が泣いて喜ぶようなお達しが続きました。

 その上で、
「未納の赦免はしたものの、年貢の先納や先々納の分を返す金がない。すまんが、出し損ということにして諦めてくれ。」

 「御用金もすぐには返せないが、子孫の代に不幸なことがあれば子孫に返そう。子々孫々のために殿様に預けておると思うて欲しい。」
と、苦しい藩の台所事情も訴えました。

 そして、「帰って、村人たちと話し合ってみてくれ。」と下駄を預けたのですが、民衆にとっては実質かなりの損とはいえ、これまでの厳しい年貢の取り立てや役人の強請り(ゆすり)・タカリから解放されるとあって、「二年分の年貢を払ってもいいです。御用とあらば、いつでも応じます。誰一人反対する者はおりません。」と申し出たのです。

 当然のことながら、仁政は為政者と国民の心が一つにならなければ実現しないのです。


 数日前、現政権の首相が消費税率のアップについて「不退転の決意で臨む」との発言をされたそうです。

 「不退転の決意」という言葉は表面的には結構カッコいいのですが、このところの政治家は「木を見て森を見ない」という枝葉の議論ばかりしているように感じます。

 否、国民に対しては、「都合のいい木だけは見せるが、森は見せない」。

 為政者はいつも恩田木工のように、「森を見せ、木を見せて、嘘偽りのない政治を行う覚悟」と「この命でいいなら、日本の将来のために喜んで捧げようという気概」を持ってもらいたいものです。

 歴史的に見ても、「政治を志す」とは「国に命を捧げる覚悟」であったと思います。

 世界最悪の財政状態の日本が未だに売り飛ばされないのは、「借金のほとんどは国民が支えているから」と、海外からは「日本の実力なら消費税を上げさえすれば財政は健全化に向かう」と見られているからです。

 もしも消費税を10%に引き上げても、財政が健全化に向かわなかった時の巨大なリスクは『日本総売り』なのです。

 政治家はそれを回避できるという根拠とビジョンをしっかり発信しなければならないのに、「福祉」や「年金」などの行き詰まり感という言い訳を使い、本質的課題の「すり替え」ばかりしているように思えます。

 『日本総売り』ということになれば、「経済成長」も「景気浮揚」もその全てが失われる危機になるというのに、本当の「見識」「胆識」をお持ちの政治家はどこにいるのでしょうか。

 政治家の皆さんに本気で国を憂う「憂国の士」となって、「日本健全化の嘘偽りないビジョン」を示してほしいものです。

 そこに疑いがなければ、私は(個人的にですが)「消費税10%?!いやいや喜んで15%でも払いますよ。」と言いたくなります。

 今日で臨時国会が閉幕しますが、①議員定数削減②国家公務員給与削減も決めずに閉じるとは、無責任極まりない政治です。

 しかもどうしようもない二人の大臣の問責決議を、会期末に行うという野党の腰の引けた対応にもうんざりです。

 国家公務員給与削減だけでも、年内に決議すれば2月から毎月240億円の復興財源が生まれるはずだったのです。

 国会議員の皆さんに、恩田木工の爪のアカを煎じて飲ませたいものです。



2011.12.9.  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝


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『日暮硯(ひぐらしすずり)』 PART Ⅰ.

 先日当欄にご登場いただいた神戸健二先生に頂戴した「日暮硯紀行(奈良本辰也著)」を読ませていただいて、20数年ぶりに「日暮硯(ひぐらしすずり)」の物語が甦ってきました。

 神戸先生からもリクエストをいただいていますので、今日は是非「日暮硯」を書きたいと思います。


 昔、教育ビデオにもなっていたようですが、「日暮硯」とは、江戸時代延享3年(1746年)家督を継いで松代藩の家老職の末席についた恩田木工民親(おんだもくたみちか)の心打たれる仁政の物語です。

 「仁政」とは「情け深い政治」という意味で、以前(2011/09/08)に書いた「葉隠(はがくれ)」 の田代陣基がこっそりと遺したのと同様に、後年に馬場正方という藩士が恩田木工民親の仁政の物語を書き遺したものです。

 馬場正方は恩田木工が信心していた上人から、恩田木工の素晴らしい政治姿勢の話を聞き、大変に感動し、是非後世に遺したいと思って書き綴った1冊の物語が「日暮硯」なのです。

 しかし、史実に合わないところや脚色も多いとして、学術的には批判の立場を取る学者も多いようです。

 ここでは厳密な年号や実際の史実と若干のズレがあることなどは横に置き、純粋に「仁政とは何か」について考えてみたいと思います。


 その前に、その恩田木工民親の主君である真田伊豆守幸弘について、仁政を成し得た背景を見ておく必要があると思います。

 真田伊豆守幸弘の父である松代藩第5代藩主の真田信安は財政再建のために、文武に長けた原八郎五郎を抜擢登用しましたが、初めはその才覚を発揮して業績を上げていくのですが、やはり権力と名声を欲しいままにした人間は徐々に増長していくのが世の常。

 諌める者もいなくなり、藩主も巻き込んで吉原での豪遊三昧、藩主共々吉原で女を落籍してきたりとやりたい放題。

 当然のこと、藩の財政は悪化の一途でした。

 藩士の「半知借り上げ」という、言わば給料を自動的に半額にして支給して、残りは藩への貸しとすることや、農民の年貢を月割制にして穀物の出来高に関係なく毎月一定の率で納めさせるというものでした。

 今で言えば、給与明細の半額しか振り込まれずに、残りの半額をいつ返してもらえるかも判らないまま会社に預けている社員と、お百姓さんに「作物ができようができなかろうが毎月10万円納税しなさい。」と言われているような感じでしょうか。

 先日書いた「上杉鷹山」をはじめ、江戸時代の藩財政困窮というのは、全国的に起きたことですが、前述のような緊急措置は一時的なもので、それが常態化すれば成り立ち続けるはずがないのは自明の理です。

 続いて登場したのが、赤穂浪士の討ち入りで逃げ出して名を汚した大野九郎兵衛の息子の田村半右衛門でしたが、贈賄・横領などの汚職横行で遂には江戸で投獄され獄中死となりました。

 原八郎五郎も四百五十石の家禄・家屋敷諸共召し上げられて、残されたのは吉原で落籍してきた女だけという惨めな末路だったようです。

 原八郎五郎も田村半右衛門も一時は功績を上げたのですが、いずれも徐々に立場と権力の上に胡坐をかいて、自滅していったのでした。

 企業でもそうですが、せっかくの功労者が晩節を汚すようなことをやらかして、功労は打ち消され汚名だけを遺すということは枚挙にいとまがありません。


 さて、松代藩の財政赤字がいよいよ深刻の度を深める中、藩主信安の死去によってまだ十三歳になったばかりの豊松(真田伊豆守幸弘)が家督を継ぎました。

 幼君とはいえ崖っぷちの藩政に立って、先ず自らの姿勢を正し戒めるという名君だったようです。

 この君主なくしては恩田木工民親の功績もなかったものです。

 その象徴的なエピソードを語らずして、恩田木工の話に移るのはいささか尚早と思われますので、「鳥籠の教訓」と言われる逸話からご紹介しておきたいと思います。


 幼君幸弘が家督を継いでからまだ僅か1、2年の頃に家臣から、
「殿、小鳥を飼うと心の慰めになりまする。朝のお目覚ましにもよろしいかと。」と、小鳥を飼うことを勧められました。

 「では任せるから、良きに計らえ。」と殿。
財政逼迫とはいえ、そこは殿様のお達しですから、見事に日本一のゴージャスな鳥籠が作られました。

 進言した家臣は、主君に呼び出されると、
「殿、見事な鳥籠ができました。これより立派なものはどこにもないでしょう。早速、中に入れる鳥を求めてまいりましょう。」と言いましたが、

 主君幸弘は、
「鳥を飼うなら食物も与えねばならん。そちに任せるから献立を作ってきてくれ。」と言いましたが、その家臣は餌のことまではよく知らないと固辞しました。

 しかし、主君幸弘は
「いかようでもよいから、これでいいというものを作ってみよ。」と命じます。

 家臣は城中の料理人などと相談し、献立を作り殿に差し出しましたが、主君幸弘は早速翌日その献立通りに料理を作らせました。

 そして家臣に、
「鳥籠に入って中の様子を調べろ。」と言い、そのまま「そこで煙草でも吸って気楽にして、話でもしよう。」と続け、

 御膳係に
「先程の献立の料理を二人分作って、ここへ運ばせよ。」と命じました。

 運ばれたお膳の一膳は殿の前に、もう一膳は鳥籠の中へ。

 流石に家臣は
「殿、もうお許しください。この中で食べるのは嫌でござりまする。」と泣きを入れるのですが、

 「良いからその中で食べよ。他にも好きなものを頼んで、腹一杯食べてくれ。」と、次々にデザートやお茶も運ばれてきました。

 数時間が経っても籠から出てもいいとのお許しが出ないものですから、流石の家臣も
「もうご勘弁ください。何か私にお気に障ることがあったら、心からお詫びいたします、、、。」と懇願しましたが、

 殿は意に介さず
「その中に一生涯いてくれ。望むものは何なりと申せ。」と。

 何度か嘆願を繰り返すものの一向にお許しが出ず、遂には御側衆に頼み込んで正式の嘆願書を差し出すも、殿はそれも受け付けないと突っぱねました。

 最後に精も魂も尽き果てて、涙ながらの必死の嘆願で、やっと外に出してもらえたのでした。


 主君幸弘は家臣たちを集め、
「私が鳥籠の中で過ごせと言い、何の不自由もなく望み通りに何でも与えるから、外には出るなと言えば、涙を流して詫びを言う。」

 「余の慰みにと勧めた鳥は、本来自由に空を飛び回り、好きに餌を探して生きておる。」

 「鳥の身になって考えると、こんなゴージャスな鳥籠など迷惑千万。相手の苦しみを我が身の慰めにするのはおかしい。よく考えて、自らを慎むべきであろう。」と諭し、

 そして鳥を飼うことを勧めた家臣に、
「その方は忠義者で、いつも何の不都合もなく仕えてくれておる。余に鳥を飼えと言ったのは、ちょっとしたはずみの間違いじゃった。」

 「しかし、その方が苦しんでくれたお蔭で、もう余に鳥を飼えと言う者はおらん。その方がやったことはこの上ない忠義である。」と続けました。

 「その方が身を以て示してくれたお蔭で、今後余に間違いがあれば家中の者も諫言(かんげん=諌める言葉)してくるじゃろう。この上なき大きな功じゃ、働きあっぱれであった。」と、褒美に金十両も下賜されています。

 この時、主君幸弘公まだ十五歳。


 論語に『君君たれば臣臣たり』(きみきみたればしんしんたり)という言葉がありますが、
「主君に徳があれば、家来もその道を守って忠義を尽くすべき」
「主君が愚者であれば、家臣もその本分に従って働かない」という意味で、現代の会社組織にもぴったり当てはまることではないでしょうか。

 「この君あってこそ、この臣あり」というのが、主君真田伊豆守幸弘と真田家家老恩田木工民親の関係ですが、企業も全く同様で「この社長あってこそ、この優秀な部下」でありましょう。

 自分の襟は正さず、部下の襟だけ正そうとする経営者も多いものです。

 「自らの覚悟を示して、部下に仕事を任せる」、「上司のその本気の覚悟が腹落ちした部下は、そのまた部下に本気の腹を見せる」、本気の覚悟と使命感のチェーン・リアクションとでも言いましょうか。


 ちょっと長くなりすぎましたので、PART Ⅱ.でいよいよ主人公の恩田木工民親の物語に入りたいと思います。

2011.12.7  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一 拝


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東京モーターショー

 話題の東京モーターショーに行ってまいりました。

 流石に人出も多く、賑わいを見せていました。

 5時間30分もの時間をかけて、あの広い東京ビッグサイトの中を歩き回っていたので、かなりの距離を歩いたことになるのでしょう。

 運動不足も祟り、今日も膝・腰・足首に疲れと痛みが残っています。


 展示内容についてはTVなどで大々的に報道されていますので、ご存知の方も多いでしょうが、ざっと見回してみた私の感想を徒然なるままに書きたいと思います。



 若者の車離れが進む中、運転やドライブの楽しさを改めてアピールしたいという象徴的なものは「トヨタ86(Toyota FT-86 Concept)」ですね。

 富士重工業(スバル)と共同で開発を進めており、トヨタブランドではトヨタ86、スバルブランドではスバルBRZ、スバルの水平対向エンジンを採用するなど徹底した低重心化をはかり、ノンターボで自然吸気エンジンの懐かしの「カローラレビン/スプリンタートレノ」を想起させるモデルです。

 かつて若者に人気を博した“ハチロクの復活”なのですが、やはり本音のメインターゲットは、かつて「ハチロク」に憧れていた40歳代から50歳代の男性なのでしょう。

 豊田章男社長が「若者の車離れでなく、メーカーが若者離れした」とおっしゃっていますが、仮に価格を250万円程度までに抑えたとしても、また運転する楽しさ、所有する歓びを提案するとしても一般的な若者の購買力ではまだまだハードルが高そうです。

 空力関係の部品をボルトオンなど取り付けやすいよう、あらかじめ車体側に穴を開けておくなど、改造の自由度が高いモデル(グレード)を設定することなどで、車好きに対する「ターゲット・セグメンテーション(細分化)」ということの方が強く感じられます。



 各社ともどのコンセプト・カーも一様にカッコいいですが、やはり提示するコンセプトの中心は、EV、プラグイン・ハイブリッドの技術の進化、つまり「モーター」と「バッテリー」の進化です。

 航続距離や加速性能などが大幅に改良され、今後数年でまだまだ進化を遂げるものと思われます。

 特に「BMW i8コンセプト」は、シャープな車体デザインやガルウイング・ドアの外見的なカッコ良さもさることながら、フロントに電気モーターを配し、リアに1.5リッター3気筒ツインターボ・エンジンと前後バランスよく配置して、50:50の重量配分とスポーツカーの走行性能、コンパクトカー並みの低燃費を実現しています。

 1.5リッター3気筒エンジンだとなめてはいけません、これでリアだけで224馬力を出すのですから凄いものです。


 夢や憧れの車も数々展示されていましたが、トヨタの「Lexus LFA」は、トヨタ自動車の高級ブランド:レクサスが2010年12月から限定生産している2人乗りのスーパーカーですが、アウディも対抗して全世界で333台限定の「R8 GT スパイダー」、、、おそらく日本で売られるのは5台ほどと言っていましたが。

 3000万円超の車なんて、夢のまた夢ですから、ショーを見て楽しむことで納得しましょう。


 そういえば、ベンツの最高級バージョン「マイバッハ」も展示していましたが、何故か隅っこの方に展示されていて、発売から数年間経ってあまり変化がないのでしょう。

 真偽のほどはわかりませんが、「この車を検討したいから、カタログください」と言うと、支払い能力を調べられた上で「総革張りのカタログをもらえる」という話を聞いたことがあります。



 さて夢のお話はさておき、今後の10年を考えると車そのものや自動車産業には、劇的な変化が訪れようとしています。

 誰もが予感しているように、車はどんどん電気化されていくでしょう。


 現在の自動車の総部品点数は1台当たり10万点、エンジン回りが概ね3万点として、EVのモーターの部品点数は100点程度。

 これはもう新規参入も含めて、自動車業界が劇的な変化に直面するということでしょう。

 特に関係業界の方でなくとも、我々は常に変化の中にいることを自覚して、日々「変化に対応する」ことと「進化を創造する」ことに腐心していただきたいと思います。


 昨日は「凄い」「カッコいい」「進化した」「夢のある」クルマや技術を堪能できましたが、部品メーカーのブースなども見て回りました。

 小さな部品が物凄い微細加工されて、派手な凄いクルマを支えています。

 モーターショーは、最新のクルマのみならず技術の「美」をも堪能できる場所です。


 「芸術的な美」「技術などの機能美」と「美」にもいろいろありますが、次回は「心の美」に照準を合わせて、先日の予告通り、松代藩家老:恩田木工民親(おんだもくたみちか)の物語『日暮硯(ひぐらしすずり)』を書きたいと思います。



2011.12.6.  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝


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