ビジネススキル研究所公式ブログ

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2011年11月

神戸健二(ごうどけんじ)先生と市村清(いちむらきよし)氏

 昨日はしばらくぶりに、尊敬するコンサルタントの神戸健二先生と新宿で楽しいお酒を飲みました。

 新宿の待ち合わせの定番の「西口交番前」で待ち合わせして、ほど近いお店に入るやいなや二人とも間の空かないマシンガントークで、瞬く間の2時間45分でした。

 おそらく4時間分位はしゃべったことでしょう。


 ちょっと先生を疲れさせちゃったかなと反省しながらも、やはりお話していて楽しいし、納得がいくのは『常に「本質論」だからだなー』と、帰りの道すがら頷いていました。



 先生は高校卒業後、リコー奨学生として横浜国立大学工学部を卒業されて、リコー生産本部・生産企画室室長、上海リコーFAX有限公司副社長、リコーユニテクノ(株)取締役社長など歴任されて、2003年神戸経営総合研究所を設立されました。


 リコー式はもちろんのこと、トヨタ式、キヤノン式などにも精通され、「人づくり、モノづくり、顧客づくり」を探求し、人材育成、生産物流改革、経営改革を実践指導されています。



 お話していて何度も出てくるのが、「現場力」という言葉です。


 とにかく徹頭徹尾の「現場主義」です。


 私もよく三現主義 --- 「現場で、現物に触れて、現実を知る」と口にするのですが、経営改革も教育も「現場の今」を見ずしては語れないものです。


 まして現場を理解していない幹部から「ああだ、こうだ。」と言われたら、現場のやる気は削がれてしまいます。



 確か初めてお会いした時に、経営不振に陥った名古屋の「高野精密工業」(現在のリコーエレメックス)の再建のお話などを伺い、「実に奇遇ですねー。実は私も以前リコーエレメックスで、しばらく幹部研修などをやらせていただいていました。」と一気に親しくなったのを覚えています。


 やはりいつも思うことですが、「出逢いに偶然はない。必然で出逢っている。」ということですね。

ほどなく「お酒を飲んだり」「ゴルフに行ったり」、まるで何十年のお付き合いをしているかのような感じです。



 ご本人の人間性は言うまでもなく、先生はあのリコーの伝説の経営者であり「リコー三愛グループ」の創始者である市村清氏の薫陶を受けられたのでしょうね。


 神戸先生を通して、市村清氏のことも少しわかってくるような気がします。


 経営の神様と呼ばれ、経営者から文化人までも市村清氏を取り巻いて教えを求め、世間はこれを称して「市村学校」と呼んだそうです。


 「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」の三愛主義をモットーに三愛商事を作り、あの銀座のシンボルともいえる銀座4丁目交差点に建つ、円柱・総ガラス張りのビルも「お客樣を動かさず、建物を回して商品の方を動かしてはどうか」という市村清氏の発想で作られたと聞きます。


 市村清氏は「人の行く裏に道あり花の山」を座右の銘としていたといいますから、正にこれも理念の実践であり、あのビルは理念経営のシンボリックタワーと言ってもいいのではないでしょうか。



 私が知る中で、もう一人この座右の銘を持っていたのは、最後の相場師と呼ばれた「是川銀蔵氏」です。


 色々と仕事上のお付き合いがあったものですから、亡くなる数年前に92歳の是川先生に色紙を書いていただいたのですが、書かれた言葉は「誠と愛」でした。


 「人の行く裏に道あり花の山」で新たなチャンスメイクをしていくのですが、その根底には常に人としての「誠」と他者や社会に対する「愛」があるということですね。


 人は違えども「本質」は同じです。


 またいつか「是川銀蔵伝」も書いてみたいですね。



 話を「リコー三愛グループ」に戻すと、リコー本体は言うに及ばず、三愛石油を設立し、外資の攻勢をはねのけて、羽田空港の給油権を獲得するなどの快進撃を続けてこられました。


 以前にも「不易流行」で書きましたが、絶対に変えてはならない価値観と大胆に時代変化に立ち向かうというのは、幹部や管理職がその企業の創業の魂を新しく入ってきた社員にしっかりと継承していった成果と言うこともできるでしょう。



 市村清語録を少し調べてみたのですが、
『書いたものより口約束こそは守れ。うそをついてはいけない。』


 現代社会では「書いたものが残っていなければ、口約束などどうでもいい。」というのが、激増していると思います。


 「だます側」と「だまされる側」で格差社会を形成して、「どうせならだます側になれ」という劣悪な価値観が蔓延しているような気もします。


 「愛を持って誠を通す」という価値観を、今一度しっかりと再認識したいものです。



 もう一つ挙げると、
『もし成功に秘訣があるとすれば、他人の立場を理解し、他人の立場から物事をみる能力を持つことである。』


 どれだけ真剣に相手の「ニーズ」「ウオンツ」を知る努力をするか、「相手の立場に立ってみる」というよりも「相手の立場に立ちきって考える」ということでないと、相手の立場や心情は「わからないことだらけ」なのです。



 ところで昨日、神戸先生から本場信州の新そばと善光寺門前の八幡屋磯五郎のゆず七味唐辛子を、お土産にいただきました。


 そば好きの私はもう、しばし無言になるほどの旨いそばと磯五郎とのベストマッチングでした。


 わさび不要です、この食べ方は絶対にお勧めです。



 神戸先生からも色々とサジェッションをいただいたのですが、本もいただきましたので20数年ぶりに「日暮硯(ひぐらしすずり)」を読み直して、近いうちに書きたいと思います。


 是非ご期待ください。


 かなり冷え込む日も多くなりましたので、お風邪など召されませんよう、くれぐれもご自愛ください。



2011.11.29.  「いい肉の日」に記す  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝


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カルヴァドス(Calvados)

 ある大企業さんから「全社員の階層別教育プログラム」のご依頼をいただきました。

 新人の入社前研修から幹部研修まで、一貫性を持たせた教育をするというのは、価値観統一・認識共有につながりますから組織力アップのためには大変重要なポイントです。


 ということで昨日は朝3時に起きて研修プログラムを書き上げ、昼はタウンウォッチング方々の散歩に出掛け、秋と冬の狭間の季節感やビジュアルな景況感など色々と感じ取ることができました。

 残念なことに、散歩の締め括りに初めて入ったお蕎麦屋さんが「二度と行きたくないほどの不味さ」だったのですが、「そうか、神様の粋な計らい。今夜の食事の旨さを倍増させてやろうということか。」とポジティブ・シンキング。


 そして夜は、今月の合宿研修受講メンバーとの「同窓会」をやりまして、当然「死ぬほど旨いフグ」をつつきながら、大いに盛り上がりました。

 本当にこの時期のトラフグは最高です。

 大熊さん・鈴木さん・澤本さん!楽しかったねー。

 12月にまた「あんこう鍋同窓会」かなー、そのうちに「月例会」になるような予感。

 「お蕎麦屋さん!きっと、もう行かないけど、ありがとう!お蔭さまでフグが死ぬほど旨かった!」----- あー、一言アドバイスしてやりたかった。


 やはり強い使命感を持っている人たちとの会話は、ポジティブだし、いい意味でのオフェンシブで、互いがプラスのシナジーを創っていることがヒシヒシと感じられます。

 少しお小遣いの負担はあるとしても、時々顔を合わせて互いの健闘を確認しあう仲間がいるのは素敵ですよね。



 昨日は久しぶりに和服を着て、「帯を男結びにギュッと締めて、結び目を腰の真ん中から少しだけずらすのが江戸っ子の粋」(私は九州人ですが)なんて言いながら、、やはり和服を着るだけで凄く気分転換になります。

 皆さんもたまには和服を着て大人の気分転換を楽しむというのも、試してみてはいかがですか?!


 着物もピンキリで1000万を超えるような大島紬もありますが、超リーズナブルなバーゲン品でも十分な気分転換ができますよ。



 ところで話は変わりますが、今年のボジョレー・ヌーヴォーは飲まれましたか?

 解禁日に三越の試飲コーナーで何種類か飲んでみて、翌日の夜に友人たちと「ボジョレーを楽しむ会」をやりまして、どれもなかなかの味わいで、やはり当たり年かと実感しました。

 というか、その時に日本酒の搾りたての新酒も飲んだのですが、これがもう激ウマでして、商社が海外の一流ホテルや一流レストランに勧めているのがよくわかります。

 大吟醸などはフレンチやイタリアンにも凄く相性がいいのです。

 ワインも日本酒も産地や種類や価格も様々ですから、単純に旨い・まずいということは言えませんが、特にボジョレー・ヌーヴォーは「フレッシュ」と取るか「未熟」と取るかはそれぞれの見解にお任せしましょう。


 17日の新着お役立ち情報にボジョレー・ヌーヴォーやヴィンテージ・ワインのことを書いていたら、その時すでにインスピレーションがカルヴァドス(Calvados)に向かってひた走りだしました。

 今から30年も前のことですが、休日に何となくテレビ番組を見ていたら、フランスの中世の王侯貴族のおもてなしのことを放映していました。

 多少曖昧になっているところもありますが、その時の記憶をたどってみたいと思います。



 ノルマンディー地方の王侯貴族は自分の領地でぶどうや洋ナシやリンゴの栽培をさせ、ぶどうから作ったワインを出荷して、またワインを蒸留してブランデーを作り、外貨を稼いでいたという話でした。

 一方、林檎を原料とする蒸留酒「カルヴァドス」は代々領主が城内で仕込み、門外不出の賓客もてなし用にふるまわれたお酒だといいます。

 つまり、その時のもてなしには先々代や先々先代、、のご先祖様が仕込んだ酒をもてなしたという話だったと思います。

 すごくその話にロマンを感じて、その日に買いに行ったのをよく覚えています。


 今や我々の口にも入るようになったカルヴァドスですが、「ポム・プリゾニエール (La Pomme Prisonnière) 」(閉じ込められた林檎)といって、林檎が丸のまま1個漬け込まれたものがあります。

 初めて少し無理して木箱入りのカルヴァドスを買った時、瓶の口よりもはるかに大きな林檎が入っていて、「どうやって入れたんだろう?」としばし悩みました。

 調べてすぐに解ったのですが、春先にまだ小さい林檎の実に瓶をかぶせて、瓶の中で成長させてリンゴ入りボトルができるのです。
あ、今どこからか「そんなの当たり前じゃん!」という声が聞こえたような、、。)



 カルヴァドスも高級ブランデーの「コニャック」や「アルマニャック」と同様に、その名を付けられる産地が限定されていて、産地が該当しないものはあくまでも「アップル・ブランデー」と呼ばれて区別されています。

 温めたブランデーグラスにカルヴァドスを注ぎ、その香りを嗅ぎ、一口含んでみると、その芳醇な香りと味に「中世ヨーロッパのお城でもてなされているような」気分が味わえます。
(やや大げさでしたが、、)

 イタリアではワインを蒸留して作る一般的なブランデーとは違い、ブドウの搾りかすを発酵させてできたアルコールを蒸留して作る「グラッパ」があります。

 ほとんどのものは樽熟成を行わないので無色透明ですが、ほのかにブドウの香りも残っているシャープなお酒です。

 アルコール度数の高いものも多く、食後酒として楽しむ方が多いですね。

 ブドウという原材料は色々なお酒に変身します。

 あ、お酒のことばかり書いていると「酒コンサルタント」だと思われてしまいますから、次回はまた違うカテゴリーの話題にしたいと思います。


 しかし、人生を豊かにしてくれるものは、お酒でも服でも人でも自分の周りにはたくさんあるし、いるのです。

 人生を豊かにしてくれる原材料から、どんな人生を創り出していくのかは、製造メーカーであるあなた次第です。

 それに「気が付く人」と「気づかないままの人」では、心の豊かさに大きな違いが生じるように思います。

 意識して「豊かな人生のファクター」を感じ取って、プラス・シナジーを楽しんでいきましょう!


2011.11.25.  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝


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ボジョレー・ヌーヴォーとヴィンテージ・ワイン

 昨夜遅く連日の研修から帰ってきました。

 仕事の疲れもさることながら、飛行機での移動も疲れますねー。

 羽田に車を停めていたから、お酒も飲めないし、、、。


 お酒と言えば、今日はワインの新酒ボジョレー・ヌーヴォー(Beaujolais nouveau)の解禁日です。

 解禁は毎年11月第3木曜日というのが、近年になってから誰もが知るところとなりました。

 元々はその年のブドウの出来栄えをチェックするために、主にワイン業者に向けての試飲会という意味合いが強かったようです。

 その後、一般消費者向けのイベント化に成功したという事例です。

 新酒をいち早く飲みたいと、時差の関係で「世界で一番早く飲める」ということで、成田のホテルまで行って盛り上がる様子が報道で大々的に報じられ、売り手とすれば正に「してやったり」のマーケティング成功事例でしょう。

 クリスマス・ケーキや、バレンタインのチョコレートなどとも近い事例ですね。


 ワイン通の中には、前記のことなどからボジョレー・ヌーヴォーを蔑視する向きもあるようですが、、、。

 ま、個人の好みの問題だから、「旨いなー」と言って飲めれば、それで充分幸せでしょうね。

 今年のブドウは出来がいいとも聞きますし、比較的価格も手ごろのものも多いですから、ちょっと味見してみるのもいいのでは?!


 さて、ボジョレー・ヌーヴォーの対極にあるのが、ヴィンテージ・ワインです。

 ぶどうが質・量共に出来が良かった年のものを、特に " vintage "と呼んでいて、年代物の逸品中の逸品ということでしょう。

 車やジーンズやギターなどにも" vintage "がありますが、マニアやコレクターにとっては垂涎の品ということ。

 興味がない人にはただのボロですが、、。


 "vintage car"と言えば、私がまだ新入社員に毛が生えた位の頃に、取引先の社長が凄い車好きで、「遂に手に入れたぞ!見に来い!」と言われて、行ってみると初めて見るクラシックのベンツがありました。

 「晴れの日しか乗らんのやー」と言ってご満悦の社長だったのですが、私としては動くわけないと思っていたものですから、「えっ?!社長!これ動くんですか?!」と聞くと、「うん、買った時はエンジンも足回りもイカレていたから、大金かけて復活させたんやー。買った金額位かかったよ。」と。

 そのオーバーホール費用は、当時ベンツのバリバリの新車が買えるほどの金額で、好きなものに傾ける凄い情熱は、同時に強烈な事業意欲にも現れていました。

 「大切なもののために頑張る」「好きなことのために頑張る」というのは、極めてベーシックなモチベーションですね。


 そういえば、数年前に亡くなった私の顧問先の社長がヴィンテージ・ワイン愛好家でした。

 自宅に一年間完全に温度・湿度を一定に保ったワイン専用部屋を作り、多くのヴィンテージ・ワインがいつの日かやってくる出番を待っていました。

 確か亡くなった時に、五大シャトーのヴィンテージ・ワインを少しだけ口に含ませてから、荼毘に付されたそうです。

 この社長はある業界団体の上部組織の世界団体の役員をされていて、年に何度もヨーロッパに出張に行かれていました。

 ある日、打ち合わせのためにご自宅にお邪魔していたら、何となくワインの話になって、「先生、私ねー、フランスに行ったついでにヴォーヌ・ロマネ村まで足を延ばして、買いに行ったんですよ。」とおっしゃいました。

 そうです。世界で最も手に入りにくいという、あのロマネ・コンティーを「箱買い」しに行ったという究極の大人買い。

 「しかし流石に売ってくれなかったなー。でもね先生、せっかくはるばる日本から来たんだからと1杯だけ飲ませてくれましたよ。」と、上品でおおらかな笑顔で語っておられたのをよく覚えています。

 大変な希少価値で、「飲むよりも、語るワイン」と言われるほどのロマネ・コンティーは、品質にこだわり、ただでさえほんの狭いぶどう畑に少なめに作付けするため、生産は多い年でも7,000本、少なければ4,000本とも言われるほどです。

 ワイン好きの憧れの一杯ですが、ロマネ・コンティーはどんなに安くても蔵出し時点で軽く10万円超えすると言われ、良質な年のものですと1本100万円をはるかに超えるというものです。(円高の今はチャンス到来かも。)

 都内でグラス売りしている店があるというのを聞いたことがありますが、小さなワイン・グラスに控えめに注がれたロマネ・コンティーが一杯5万円(しかも税・サ別)だとか、、。

 「テイスティングで匂いを嗅ぐだけで1万円かなー」と、以前知り合いのソムリエに話していたら、「コルクを抜いて、一杯売って、残りが酸化したらアウトですよ。私ならそんな危険なことは絶対にできません。」と。

 結局、「いつの日か飲んでみたいものだ」と「語るワイン」になるのかなー。

 数年前に私が経営学を担当していた学校で、生徒に5大シャトーやロマネ・コンティーの話をしていて、「俺も飲んだことないけどサー、君たちも一度は飲んでみたいと思うだろう?!ロマンだねー。ロマン・コンティーなんちゃってー。」とオヤジ・ギャグを飛ばしたら、一人の女子学生がスッと手を挙げました。

 「あのー、私飲んだことあります。」、、、しばし絶句。

 彼女は親戚のお金持ちの叔父さんが、「お前にも一杯飲ませてあげよう。」と言って、ご馳走になったそうな、、。

 羨ましい、、、とりあえず今日はボジョレー・ヌーヴォーを楽しむことにしますが、いつの日か自分の生まれた年のヴィンテージ・ワインを飲んでみたいものです。



2011.11.17. ボジョレー・ヌーヴォー解禁日  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝


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続・長宗我部

 新着お役立ち情報に『上杉鷹山』をリリースして、夜遅くに愛知淑徳大学教授の真田幸光先生からメールをいただきました。

 驚くことに「私の祖母は上杉本家の長女」、「祖母の縁で上杉財団の理事も致しております」とのお返事。

 私は本日で満54歳になりましたが、調べてみると真田先生も1957年生まれで同い年、しかも「そういえば、お名前が似ているなー」と思っていたら、やはりあの真田幸村の末裔とのことでした。

 私からの「是非、近日お目に掛かってお話ししたい」との申し出にも、ご快諾いただきましてワクワクしますねー。


 人上練磨 --- 人生は体験や書によって学ぶことは多いのですが、何より「出逢った人によって磨かれる」ということが、大きな要素であると思います。

 ですから、私の座右の銘は、
「恭しき出逢いが人生を創る」 --- 「礼節をわきまえて、出逢いを大切していけば、素晴らしい人生が創られていく」という意味を込めたものです。

 また実は、「恭」と「創」は息子たちに付けた名前の一文字でもあります。


 人生って、「自分の価値観レベル」や「心の状態」によって、「いい出逢い」や「悪い出逢い」がもたらされるものだと思います。

 つまり、運やツキにも何某かのメカニズムが存在するということでしょう。


 ところで、『上杉鷹山』を書く切っ掛けのインスピレーションをいただいた、日本メディカルテクノロジーの長友真聡社長からもまたメールを頂戴しました。

『(前略)私の両親の故郷について、お詳しいのでびっくりしました。
私の両親は、高鍋町の北隣の川南町が父親の出身で、その北隣の都農町(つのうちょう)が母親の出身地です。(中略)
都農町は最近では口蹄疫の発生場所で有名になってしまいましたが、非常にのどかなところで、高鍋から日向までの海はサーフィンをする人にとっては、憧れの土地であり、高鍋は焼酎が好きな方はご存知かと思いますが『百年の孤独』で有名な黒木本店があり、海岸は海亀が産卵に来ますし、小さな岩牡蠣が取れるところでもあります。
また父親曰く、宮崎は大友宗麟と薩摩が戦ったところで、定かではありませんが、それが由来で長友の姓があるのではなどと言っております。(後略)』

 拝読して、またもやインスピレーション!

 「大友宗麟と薩摩が戦ったところ」 --- そうです、以前書いた「長宗我部」では端折ったのですが、あの有名な「戸次川(へつぎがわ)の合戦」ですね。

 せっかく火がついたのですから、少し書きたいと思います(当然、長宗我部友親氏著「長宗我部」参照)。


 豊臣秀吉は四国を平定した後、薩摩の島津義久を叩きたかったのですが、薩摩は九州統一を目指して大友宗麟の鶴賀城を攻め、落城寸前まで追い詰めていました。

 大友方は秀吉に援軍を頼み、秀吉とすればこのチャンスに一気に島津を倒したいと考えた訳です。

 讃岐の仙石氏(もしや民主のあの人の先祖?!)と十河氏、そして長宗我部元親に出陣命令が下ったのです。

 「秀吉本隊の到着を待って、総攻撃」という命令だったらしいのですが、「命令に従って、秀吉の着陣を待とう」言う元親に、仙石は川を渡って強行突破すると言い張るのです。

 そこまで言い張って、強行突破することになったのですが、仙石は二番手に回り、逃げる時は一番で、何とも怪しいですね。

 一般的には「仙石が功を焦って」ということのようですが、長宗我部友親氏は「無理攻めをして、ついでに長宗我部も滅べば一石二鳥」だったのではないかという見解も。

 確かに読みが深いですね。


 この戦いで長宗我部元親は継嗣である嫡男信親を失って、落胆のあまり覇気を失ったようです。

 信親は身長185cm・色白・柔和・聡明と書かれていて、しかも長宗我部友親氏の家の土蔵に信親の姿と思われる掛け軸の絵があって、白馬にまたがり鞍にいくつもの生首をぶら下げ、担いだ槍の先にも生首。

 本の中にこの絵があるのですが、森鴎外が詩にも書いたものと符合する豪傑だったようです。

 大長刀で8人、刀で6人斬ったと書き残されています。

 これは確かに自慢の跡継ぎ息子という感じでしょうから、元親の落胆は筆舌に尽くし難いもの
だったでしょう。


 跡目を巡ってはお家騒動の挙句に、何故か末子の盛親に後継が決まっています。

 二十二代当主となった盛親は、関が原の戦いで徳川家康に味方すると決めたのに、何故か石田三成方に付いてしまい敗軍となりました。

 その後盛親は大坂の陣に加わり、ついには市中引き回しの上で打ち首という悲惨な最期となりました。

 長宗我部は領地も姓も剥奪されて、明治維新まで土佐の下士とされて、永き不遇の歴史となってしまったのです。

 しかし、その差別の果てに土佐の下士たちが、明治維新の原動力となっていったのですから、歴史というのは何か長い必然の糸で繋がっている気がします。

 徳川方に付くと決めて密書を送ったものの、大阪で使者から「密書を渡せずに帰ってきた」ことを聞き、「後は運に任せよう」と言って石田に付いたといいます。


 運は「任せる」ものではなく、最善を尽くし続けて「引き寄せるもの」であると、つくづく感じるものです。

 企業においても、上司が「イチかバチか」で「蛮勇・匹夫の勇」を振るえば、部下たちは犬死させられて、企業は淘汰の道を進んでしまいます。

 あのオリンパスの事件も、正に歴代幹部の「将の器」から起こってしまったものでしょう。


 多くのステークホルダー(利害関係者)に迷惑をまき散らして、大切な社員たちを不幸のどん底に落とそうとしています。

 皆様の会社でも、経営トップや幹部の「将の器」づくりには、本気で取り組んでいただきたいものです。

 幹部・管理職の「将の器」づくりのお手伝いをしている私も、その強烈な使命を身につまされて感じています。

 さて、明日からまた三日間の合宿研修で、その後すぐにまた出張です。

 気合を入れて、最善を尽くし続ける「お役立ちの戦い」に挑み続けたいと、意を強くしています。



2011.11.10  五十四歳スタートの日に記す。  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝

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上杉 鷹山 (うえすぎ ようざん)

いつも親しくしていただいている社長から、先日の新着お役立ち情報をお読みいただいた後、
「(前略)両親の田舎が宮崎県で、老後にのんびり暮らすには最高の所と思っております。(後略)」とのメールをいただきました。

とっさにインスピレーション!
宮崎県---日向---高鍋藩主・秋月種美の次男--- 上杉鷹山


上杉といえば上杉謙信を藩祖とする北信濃の大大名でしたが、謙信の養子上杉景勝は豊臣秀吉から陸奥国会津120万石へ移封され、関ヶ原の戦いで西軍敗退後は徳川家康に謝罪して、出羽国米沢30万石へ減移封されました。

辛うじて上杉の存続は許されたものの、企業で言えば「事業規模や収益が1/4になったのに、幹部や社員の処遇はそのままにした」という、どう考えても成り立ち得ないような経営を続けたのでした。

オリンパスの問題が世間を騒がせていますが、当時の上杉家もとんでもない債務超過の会社の幹部が「われ関せず」とばかりに、「高級なシルクのスーツを身にまとい、毎日料亭で御馳走を食べていた」という感じでしょうか。


今のギリシャを見ていると、その頃の米沢藩とダブって見えてきます。

どんな前例・恒例があろうとも一切を断ち切り、国家・国民が総力を挙げて国難を乗り越える変革に取り組む必要に迫られ
ていたのです。

米沢藩は初代藩主・上杉景勝の意向に従ったとは言え、重臣たちは改革の努力をしようとせず、国家破綻寸前の危機にありました。

財政支出半減と産業振興をはかり、米沢藩を再生させた上杉鷹山は、江戸時代屈指の名君として知られているのです。

書店で本の帯を見ていただくと、
「J.F.ケネディが最も尊敬する日本人と言った」
と書かれているものもありますね。

その真偽のほどは横に置くとして、名君であったことは偽らざる事実です。


上杉鷹山の兄は高鍋藩を継ぎ、弟は人吉藩主・相良家に養子に入ったものの早世したようです。

次男であった後の上杉鷹山は、母方の祖母の豊姫が米沢藩第四代藩主・上杉綱憲の娘であったことが縁で、10歳で米沢藩の第八代藩主・重定(綱憲の長男)の養子となりました。

初めは勝興と名乗り、後には上杉治憲と名乗り第九代米沢藩主となりましたが、上杉鷹山という名前は藩主を隠居した後の号です。


危機一髪で米沢藩の改革を成功させた上杉鷹山の偉大な物語は、また是非ともじっくりと本をお読みになることをお勧めします。


さて、掻い摘んで書けば、藩主になった途端にドラスティックな藩政改革を始めた上杉鷹山に、守旧派の七重臣が改革の中止を迫る訳です。

四時間の議論の末、「もう埒(らち)が明かん」とその場を立ち去ろうとした鷹山は袴の裾をつかまれ、危機一髪のところを部下(近習)がその重臣の手を払い、難を逃れました。

江戸時代には、「毎日の吉原通いなど、素行が悪い」とか「政策が明らかに間違っている」などとの理由で、『主君押し込め』という慣例があったそうです。

『主君押し込め』には、ちゃんと作法もあったようで、「殿、お身持ち良ろしからず、暫く御慎みあるべし。」という口上を合図に、刀を押さえられ、さながら現行犯逮捕。

「拘禁」「監禁」「座敷牢」「強制隠居」という厳しいもので、軽くて済んでも「謹慎」、部下から上司への実力行使です。

たとえ謹慎を解かれても、報復行為も禁じられているため、お殿様とすれば青天の霹靂です。

「偏った人事による藩内抗争」「藩政改革や財政建て直しの失政」「跡目相続争い」など、全国の大名家で起きた事例は多々あるようです。


さて危機一髪難を逃れた上杉鷹山は、七重臣が出してきた訴状を目付・物頭をはじめ、家臣団に開示しました。

反対意見や異議にもキチンと耳を向けた上で、その不当性を確認し「今、お家における絶対正義を貫く」と、間髪入れずに七重臣を処罰しました。

その後、自らも質素倹約は言うまでもなく、民とともに開墾の鍬を持ったというから、正に名君の政治信条の実践ですね。

正に「理念実践の経営者」の姿。


上杉鷹山の改革に取り組む姿勢を表した「してみせて言って聞かせて させてみる」という言葉が遺されています。

後に山本五十六の有名なフレーズ、『やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かじ』と引用したものですね。

上杉鷹山も、武田信玄から『為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり』と引用していますから、改めて「賢者は歴史に学ぶ」ということが実感されます。



下記は鷹山が次期藩主・治広に家督を譲る際に申し渡した、藩主として三条の心得『伝国の辞(でんこくのじ)』です。



一、国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして
我私すべき物にはこれ無く候

一、人民は国家に属したる人民にして
我私すべき物にはこれ無く候

一、国家人民の為に立たる君にて
君の為に立たる国家人民にはこれ無く候

右三条御遺念有間敷候事



うーん、上に立つ者の偉大な覚悟が凝縮した言葉です。


そういえば昨日のセミナーの受講者の方で、「私の上司は最悪の上司で、部下から総スカンです。でも、もっと最悪なのは、自分は部下から慕われていると勘違いしていることです。でも、私は絶対に辞めたりしません。向こうが飛ばされるのが必然。」と仰っていました。

何だか現代の「押し込め」のような、、、。


最後に、本日の新着お役立ち情報を書く切っ掛けをいただきました長友社長、「感謝いたしております!」


2011.11.9.  五十三歳最後の日に記す。  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝


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クールビズとウォームビズの狭間

 11月も半ばに差し掛かろうというのに、昼間の東京はまだポカポカ陽気です。

 様々な伝統的な季節行事は守るとして、日常の服装についてはかなり変化させる必要を感じますね。

 10月1日に衣替えなんかしていられないです。

 私の場合は5月から10月までクールビズで、10月の下旬に夏物のスーツを出して、11月はその日の気温によって夏物・冬物をチョイスするというやり方にしようと思っています。

 クールビズとウォームビズの狭間にしか、サマースーツの出番はないという感じです。

 特に私のように仕事で北に行ったり、南に行ったりという方も多いですから、かなり注意深く天気予報を見ておく必要がありますね。


 さて、今朝のトップニュースは
「東証・大証の合併」でしたね。

 統合構想自体は以前からありましたが、いよいよ大詰めを迎えたということですね。

 日本の証券市場の国際競争力を考えれば、なるべくしてなった時代の必然のようなものでしょう。

 ヨーロッパに目を向ければ、相変わらずのギリシャのゴタゴタでPIIGS諸国(先日のお役立ち情報参照)への影響は必至です。

 6000兆円を超えると言われる世界のホームレスマネーは、リスクから逃れるのに必死の状態です。


 為替相場をはじめとする相場が、その影響を受けて大きく変動することはなかなか避け難いのが実態です。

 ここは前述の証券市場の大合併が功を奏し、世界のホームレスマネーを呼び込むことに期待したいところです。


 ところで、10日間ほど新着お役立ち情報の書き込みをサボっていたので、「倒れたか?!」とか「生きているか?!」などとご心配もいただいて恐縮至極です。

 先日来、研修や打ち合わせでバタバタして、また今週もセミナーや合宿研修が続くのですが、もう一つ強烈なトラブルに見舞われていたのでした。

 突然パソコンが壊れまして、もう右往左往して何とか新機種に入れ替えて、結果的に大幅にスペックもバージョンもアップしたのですが、データの移行やバージョン変更に時間もエネルギーも随分持っていかれてしまいました。

 「こうなりゃヤケだ」という訳ではないのですが、結構要らないモノの処分もでき、ついでに古いオーディオのスピーカーを連結させて、時折仕事の合間にジャズを聴くのにはなかなかの環境になりました。

 私たちは何事もなければ凄く便利なものに囲まれているものの、いざトラブってみると地獄の苦しみを味わうというのは、現代社会に生きている宿命とも言えるでしょう。

 その裏返しというか反動というか、「現役リタイア後は、多少不便でものんびりと田舎生活を」と考える方も増え続けているようですね。

 とは言え年金支給日は遠のいていきますから、社会全体として何某かの「生涯現役システム」を創っていく必要があります。

 共に知恵を絞り、共に力を合わせれば、きっといい国にしていけるはずです!

 「目指せ!生涯現役ピンピンコロリ!」

2011.11.7  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝


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