ビジネススキル研究所公式ブログ

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2011年09月

【 勇往邁進(ゆうおうまいしん) 】

 先日の「不易流行」のお話でご登場いただいた方は、大阪の不二印刷の井戸幹雄会長です。


 もう20数年来のお付き合いをいただいていますが、新着リリースから間もなくメールを頂きました。掻い摘んで書きますと、


 【 私のお墓の事をご記憶いただき、情報発信いただき恐縮です。

10/1日が不二印刷第80期スタートの社員大会です。

久しぶりに<不易流行>をテーマに挨拶を、と用意していました。

因みに80期キーワードは<勇往邁進>です。 】



 【 勇往邁進 】、いい言葉ですねー。

 「目的を貫くために恐れることなく、ためらうことなく、勇ましく、わき目も振らずまっしぐらに進むこと」というのが、この言葉の意味です。


 不二印刷の社是は『共生』、「きょうせい」と読まずに「ともいき」と読むのですが、このたった2文字の中に「本気で社員たちを幸せにする」「我社に関わる全ての方々の満足を追求する = ステークホルダー・サティスファクション」「社会と共に幸福に向かう」という意味が込められていると思います。


 であるからこそ<勇往邁進>が大きな意味を持つのです。


 “ Do Right Things !” --- 我々は正しいことを、正しい姿勢で、正しくやり通す!だから『共生』の価値観のもとに全社員総力を挙げて、恐れることなく、ためらうことなく、勇ましく、わき目も振らずまっしぐらに進もう!という強い言霊に満ちた【 勇往邁進 】となるのです。





 中国では新幹線大事故に続いて、今度は地下鉄の追突事故ですね。


 またしても大きな人災で、問題の根幹は「経済の急激な肥大化」と「健全な発展」の見分けが付かなくなっていることなのかも知れません。


 事故の死者数や災害での犠牲者数も、「発表される死者は35人ということが多いのは、それを超えると幹部が更迭されるから」というのは、まことしやかな噂です。


 一番に考えるべきは「乗客の安全」なのに、「国威発揚」「党大会に間に合わせる」「万博に間に合わせる」ということが先に立ったとすれば、本末転倒なのです。



 政治でも企業経営でも同じですが、「何某かの判断を下す時に最も重要なことは何か」という「価値観教育」に力を入れないと、結果的にとんでもない事態を引き起こすことになります。


 我国では那覇発羽田行きの全日空機が6日夜、浜松市沖上空で機体が左側に約130度傾き急降下したという報道は、ご存知の通りです。


 副操縦士のうっかりミスであわや大惨事になるところでした。


 専門家の話では、「墜落しなかったのが、不思議なくらい」ということでした。



 事故、トラブルの圧倒的多数はヒューマン・エラーによって起きているという「ハインリッヒの法則」の典型例ではないでしょうか。


 ハインリッヒは、労働災害5000件余を統計学的に調べて法則を導き出し、そこに現れた数値は「1:29:300」でした。



 1件の「重大事故」の裏には、29件の「小さなトラブル」300件の「ヒヤリ・ハット」があるというのが「ハインリッヒの法則」です。


 リーダーは小さなトラブルをやり過ごすことなく、徹底検証と分析を行い、問題の根幹となる原因を究明・対処しなければならないのは、言うまでもないことです。


 そして、300件のヒヤリ・ハットの全てが部下から報告される様、部下の信頼を得ていなければなりません。


 何故なら、人は「苦手な相手」「嫌いな相手」には、率先してコミュニケーションを取ろうとしなくなるからです。


 ましてそれが「言いにくい話」「ミスの報告」であれば尚更です。


 是非とも強い問題意識を持ち続け、問題が小さいうちに問題解決の具体策が打てるように、改めて「価値観共有」の何たるかを語り合っていただきたいと思います。


 2011.9.29  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一


経営戦略策定・マーケティング戦略強化・営業研修・営業セミナー・ビジネススキル研修など、貴社の競争力強化のご指導をいたします。お気軽にお問い合わせください。




「不易流行(ふえきりゅうこう)」

数年前に永年お世話になっている大阪の経営者の方から、「ワシ、墓の準備が出来たで。これや。見てみー。」と一枚の写真を見せられました。
墓標に刻まれた言葉を指しながら、「ワシの座右の銘やからな。これにしたんや。」と、そこには「不易流行」の文字がありました。
 「社長、凄い言葉を墓に刻みましたなー。」と私が言うと、「これが大事やというて、永年経営をしてきたんやから、ワシの墓にはピッタリや。」とおっしゃっていました。


 松尾芭蕉の言葉として知られる「不易流行(ふえきりゅうこう)」という言葉、ご存知ですよね?
 「不易」とは「不変の法則であり、時を超えても変わらぬ真理」のことで、「流行」とは「その時々の時代や環境により起きる変化」のことです。
 「不易」も「流行」に影響を及ぼし、「流行」も「不易」に影響を及ぼすという哲学的な深い言葉です。


 経営では「業績影響要因(環境・競合・自社要因)」を例えるのが解りやすいと思いますが、単純に言えば「変わること」と「変えること」の違いです。

 「環境」「競合」というのは、常に「変わる」ものであり、それに「自社」を適応させて「変えていく」ものです。
 至極当たり前の話ですが、「環境変化への対応」「競合変化への対応」のためには、自らが変化していかなければならないのです。
 経営とは常にこれらの要因変化に目を光らせて、「臨機応変」の対応を考えなければならないのです。


 換言すれば、日々のルーティンワークをこなすことに精一杯であるとすると、「明日の繁栄のための糸口」を見つけられないまま生きていることになるのです。
 私たちの人生においても、正しい・崇高な価値観は「不易」、自分自身の「考え方」「行動」などの「習慣」を「流行」として、その「変化の糸口」を「自分の目」で確認し、決意・意思決定しなければ変革などとてもできないことになります。
 人は「他人の指示や意見・アドバイス」によって多少の影響は受けるものの、基本的には自らの強い意志によってしか変われないのです。
 つまり、自己の幸福を追求するためには「戦略的に生きる」ことが必要なのです。
  「将来の勝利を確信できる作戦」こそが戦略で、世の中の動向を見据えた大局的なものです。



 環境要因の変化の例としては、少子超高齢社会や年金問題、資源問題、原発問題など多くのことがありますが、じわじわやってくる問題はある程度の予測も立ちます。
 リーマン・ショックなどは意表を突かれた感がありましたが、原因となったサブプライム・ローンの問題に気づいていた人はたくさんいますし、警鐘を鳴らす人もいたのです。
 これが異なる意味での「流行」の怖さで、「バブル経済」のように「皆がやってるんだから大丈夫、遅れてはならじ」というムードに流されるのです。
 サブプライム・ローンは巧みに証券化され、ほとんど伝染病のように世界に巻き散らかされたわけです。
 「所得の半分以上を借金返済に廻して、返済の延滞はあるし、破産だって経験してます」って人が借りることができる住宅ローンがサブプライム・ローンでしたから、住宅価格が上がり続けない限り必ず破たんするというとんでもない代物でした。


 先ほど「少子超高齢社会」と書きましたが、現在の日本は既に高齢化社会ではなく、超高齢社会に突入しているのです。
 WHO(世界保健機構)で65歳以上の人を高齢者と定義していますが、その割合(高齢化率)が7%を超えれば「高齢化社会」、14%を超えれば「高齢社会」で、21%を超えれば「超高齢社会」というのです。


 すでに日本の高齢化率は23%を超えて、そのうちに40%に達すると言われていますが、何となく大変そうだと考えるよりはマーケットのトレンドとして「近未来に存在する事実」として想定しなければならないでしょう。
 環境要因に対応するということは、「そのように変化していく社会に」、「どんなお役立ちで貢献するか」、「どんなビジネス・モデルが成り立つのか」ということです。



 厳しい競争にさらされている現代の経営環境において、ライバルの動向や戦略変更、新たなライバルの出現などに常に注意が必要です。
 例えば、あなたが売場面積100坪の食品スーパーを経営していると想定して、これまでは地域の顧客も定着しており、堅実に収益を上げ続けてきたとします。
 ところが、すぐ近くに売場500坪のライバルの出店が決まりました。これは一大事です。



 フレデリック・ランチェスターの第二法則を応用して考えれば、これは100坪対500坪という5倍の戦力の敵との戦いではなく、100の二乗)
対500の二乗つまり10,000対250,000となり、実質25倍の敵と戦うことになるのです。
「相手が5倍だから」ではすでに戦略の出発点が違い、まして「気合を入れて頑張る」では到底勝てない相手ですから、明解な戦略変更が必要になります。
 強い相手と同じ土俵に上がれば、相手の戦力は二乗比例するというのがランチェスターの第二法則ですから、「違う土俵を創造する」ことこそ「新たな戦略」を生み出すことになるのです。
 まずはライバルの特徴や基本戦略などを調べて、「相手の土俵」を確認して、「事業の専門特化」や「小判鮫商法に徹する」、「思い切った業態変更」などの対抗する戦略を至急分析・検討して、速やかに具体的な戦術までブレイク・ダウンしなければなりません。


 この重要なターニング・ポイントに具体的手立てもなく、闇雲に部下たちに「頑張れ!」と叱咤激励したり、「何やってんだ!」と叱責を繰り返す上司もいますが、時間とエネルギーのムダです。
 負け組の会社ほどこの傾向が強く、社員のモラルは低下しますし、大した戦略も立てず戦術に頼るのは土台ムリな話なのです。


 環境・競合要因の中で「変化しているもの」の情報を的確に捉え、スピーディーに「自社で変化させるべきもの」に情報の活用ができなければ淘汰の道を歩むことになります。
 昔は情報というものが「少なく」「遅く」「不確か」であったため、情報そのものを収集することに大きな価値がありました。
 例えば1560年に桶狭間の戦いで、織田信長軍が今川義元の本陣を奇襲して勝利を収めましたが、この戦いによって今川は上洛どころか滅亡に至り、信長台頭の契機となりました。
 このとき、義元の首を取った武将より、雷雨の中を敵将の宿陣地である田楽狭間を急襲するべきであるとの「意思決定情報」をもたらした者への報奨が多かったことは有名です。


 現代社会では、インターネットをはじめとして、TV・マスコミ等の情報が溢れていますから、そこで重要なのは「情報の取捨選択(比較する感性)」と「有効な情報への感度(集中する感性)」でしょう。
 感性とは「感じる力」ではなく、「感じたものを活かす力」です。
 つまり、いかに情報を「生きる力」や「勝つための力」にするかということで、ビジネスセンスの基軸となるのは、「情報」に対する「感性」なのです。


 2011.9.27  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一


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長宗我部(ちょうそがべ)

また台風15号が各地に大きな被害をもたらしていますが、本当に今年は自然災害の多い年で、ただ今首都東京をはじめ日本列島大混乱です。


 被害に遭われた方々に、謹んでお見舞い申し上げます。

また、皆様くれぐれも無理をなさらないでください。


 「蛮勇」「匹夫の勇」を出すのは愚の愚で、少し臆病な位の「勇気」がちょうどいいと思います。

天災が多いからこそ、人災をなくす努力をしなければならないのに、お役人をはじめとして保身に走る人の多いこと、嘆かわしいことです。


 その嘆きがこのところの私の「お役立ち情報」にも影響していまして、古き善き日本人の心根である「武士道精神」を角度や逸話を変えながら、皆様にお届けしたくなるのです。



話は変わりますが、天皇家のように古代から延々脈々と系譜が残っている家系というは少ないのでしょうね。


 私の知り合いに「ウチには鎌倉時代からの系譜がある」という人がいましたが、そんなに古くからの系譜が残っているとは凄いですねー。

私の場合はと言えば、何代か遡ったところで「うん、きっと古代からずっと九州のお百姓さん!」という結論に達して終了。


昨年読んだ『長宗我部』(長宗我部友親著)は、巻頭に付いている系譜を見てびっくりでした。


 著者の長宗我部友親氏は、その名の通り長宗我部氏の末裔です。

あ、この本を読んで初めて知ったのですが、「ちょうそかべ」ではなく「ちょうそがべ」と濁って読むのが正しいそうです。

系譜の話に戻ると、辿りに辿ったご先祖様は、なんと「秦の始皇帝」なのです。


 始皇帝の子孫が渡来して日本に帰化し、「秦(はた)一族」を名乗り、聖徳太子をバックアップして大和政権を支えた「秦河勝(はたのかわかつ)」が信濃国を与えられて、その子孫が各地に移り住んだようです。

 長宗我部と言えば、戦国の世に天下を目指した一人である第二十一代の「長宗我部元親(もとちか)」が有名ですが、その前に簡単にそれまでの歴史を辿ってみましょう。

幾世代を経て、河勝の末裔「秦能俊(はたのよしとし)」の時代に、保元の乱で崇徳上皇側に立ち、戦に敗れて土佐の「長岡郡曾我部」に隠れ、その後の長宗我部の源流となりました。


 後に足利尊氏の配下に入り、公家の一條家との親密な関係も構築し、応仁の乱の戦禍を逃れて土佐に来た一條教房(いちじょうのりふさ)を迎えて、国司として持ち上げて、国の安泰を図りました。

 一條氏は国司として中村城(現四万十市)に入りましたが、土佐七雄と言われる諸侯の共謀で、時の十九代当主兼序(かねつぐ)は滅ぼされてしまいます。


 六歳になる後継ぎの千雄丸を一條氏のもとへ逃れさせ、一條家は昔の恩を返す形で千雄丸を育て上げました。



 中央政権ともつながり、関白も務めた一條家で千雄丸は元服を迎え、二十代国親(くにちか)となります。


 当時の一條家当主の房家は長宗我部の再興を果たすための根回しを進め、国親の元の領地回復を果たして岡豊(おこう)城に戻しました。


 旧臣たちも戻ってはきましたが、数も少なく兵力も小さいということで、国力回復が喫緊の課題となる訳です。


 農民を武士として取り立てて、家臣団の再結成を進めて、後に二十一代長宗我部元親が四国統一を果たすための原動力となる農民兵を作り上げていきました。


 これが有名な長宗我部の兵農未分離の地侍である「一領具足(いちりょうぐそく)」です。


 父の仇を討ちたい国親は、「野に放った虎」と化し、土佐の戦国はエスカレートしていくのです。



 長宗我部国親・元親親子は周辺諸侯を滅ぼして恨みを晴らし、国親の死後に四国統一を果たしていく長宗我部元親には、織田信長も一目置いていたようで、元親の世継ぎに「信」の字を与えて「信親」と名乗らせています。


 元親に「自分の力で四国の領土を切り取れ」と言った信長ですが、快進撃を続ける長宗我部が気に食わなくなり、四国討伐軍を編成させ攻めて来た訳です。


 正にこれが戦国の世、「100%の信頼」は危ういもので「ひた隠しにしたクライシス・マネジメント」を持っているべきなのです。


 現代においても相通ずるものがあるように思いますが、新たなビジネス・パートナーを「盲信」するのではなく、常に全幅の信頼を置いているように振る舞いながらも、クライシス・マネジメントのフィルターを掛けておく必要があるということです。



 さて、四国担当だった明智光秀は四国討伐軍を外されて、代わりに豊臣秀吉が軍を率いていました。


 信長による光秀に対する数々のイジメや、信長が天皇家の上に立とうとしていると公家衆からの危惧も受けて、「本能寺の変」は起きるべくして起きたのでしょう。


 歴史的に明智光秀は「裏切り者の代表」として扱われがちですが、反旗を翻すだけの力のある者を侮った信長の「一世一代の油断」が「本能寺の変」となってしまったのでしょう。


 ビジネスでも全く同じで、上司は「能力の高い部下をいかに従わせるか」、つまり「力を力でねじ伏せる」よりも「心を束ねるには価値観を同じくするか否か」を確認しなければ、思わぬ裏切りに煮え湯を飲まされる事態が起こり得るということです。


 ご存知の通り、信長後の天下人となった秀吉にとっては、九州の島津と四国の長宗我部が邪魔な存在で、地理的に近い長宗我部に「阿波・讃岐・伊予の国を差し出せ」と迫り、遂に長宗我部は四国の陣で豊臣秀吉に敗れ、秀吉の臣下となり土佐一国の所領に逆戻りしてしまいました。


 秀吉の接待を受けた時のやり取りなどに、天下の本流を掴んだ者と傍流に甘んじざるを得なかった者との絢(あや)が感じられます。


 有名な逸話ですが、元親は湾に入ってきた鯨を生け捕らせ、秀吉に献上したという話がありますが、軍門に下りはしたが心意気は見せつけてやりたいという気持ちもあったのでしょう。


 当然、好奇心旺盛な秀吉は初めて見る鯨に大喜びして、「土佐の男の心意気を見た」と朱印状と褒美の八百石を渡しています。



 私は疎いのですが、長宗我部元親をゲームのキャラクターとしては知っているという人も多いようですが、「姫若子」と呼ばれるほど長身・色白・美男子という元親はゲームのキャラクターとしてもジャスト・フィットしていたのでしょう。


 長宗我部の歴史は『土佐物語』の記述が中心ですが、その後は嫡男信親を島津攻めで失い、末子の盛親が後を継ぐのですが、関ヶ原の戦いで徳川家康方につくと密使を送りながら、何故か石田光成方で戦い、その後盛親は惨めにも「市中引き回しの上、斬首刑」となり、長宗我部の歴史は領地も姓も剥奪されることになって終焉を迎えました。


 戦国であろうと現代社会であろうと、大局を見誤って小局に走ると思いがけない転落になるものです。


 「着眼大局、着手小局」ですね。



 何だか端折りながらも、延々と書いてしまいましたが、長宗我部本流の滅亡の後、元親末弟の親房から忍従の歴史が十七代に亘り、前述の著者長宗我部友親氏へと連なっています。


 その後、家康から関ヶ原の褒賞として山内一豊に土佐一国が与えられ、長宗我部家臣は土佐の下士としての歴史を辿ることになり、その差別の歴史が坂本龍馬をはじめとする幕末の志士を多く生み出すことにも繋がっています。


 永い永い忍従の末、ついに昭和天皇から長宗我部中興の祖である元親への「正三位」贈位が実現し、一族再興を果たしたということです。


 気が遠くなるほどの長い下士としての忍従の歴史に、途絶えることなく系譜を連ねてこれたのは、容易く「プライド」と同意語としたくないほどの大きな『誇り』があったからでしょう。


 私もそのうちに長宗我部の『誇り』を引き継ぐ、友親氏にお会いしてみたいと思っています。


 お勧めです。是非、『長宗我部』を読んでみてください。


2011.9.21  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一


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『茶を一服所望』

  この一週間は研修漬けの日々で、もしかして寝言でまで講義をしていたのではと思うほどでした。


  多少なりとも人様の人生に影響するということを考えると、「一期一会(いちごいちえ)」の精神が研ぎ澄まされる気がします。



  さて、「一期一会」と言えば、今日は「茶」について。


  「茶」と言っても最近何かと話題の加藤ちゃんの話題ではなく、「茶道・茶の湯」のお話です。(ギャグの切れ味悪し!)



  水道水を飲める国は世界でも「日本」と「スイス」だけ。と思っていたら11カ国程度はあるそうです。


  しかし、国中どこでも水道の蛇口をひねれば飲めると言えば、やはりかなり少ないでしょう。


  世界中が深刻な水不足にあえぐ中、日本が水に恵まれた国であることは、そのありがたさを普段忘れかけているのではないでしょうか。



  古くは飲用に向かない「水質の悪い水」を、浄化するために「お茶」が使われ、のちに嗜好品となっていったようです。


  日本では平安時代にお茶が輸入され、鎌倉・室町時代を経て、「茶の道」が確立されていったようです。


  つまり、お茶を飲むことを「精神修養の境地」にまで高めていった結果、「茶道の確立」となったのでしょう。



  師から弟子へと伝承されながら、それを極めたのが千利休であると思います。


  利休は大阪・堺の魚屋の息子に生まれたらしいのですが、修行を積み、茶の道・禅の道を究めていったそうです。


  「茶の湯」は、時の覇者である織田信長の「茶道具を恩賞に用いること」や「大阪商人の懐柔策」などによって大きく発展しました。


  本能寺の変の後、豊臣秀吉に受け継がれた政策的支援は、ますます利休にはフォロー・ウインドになり、頂点を極めることになったようです。



  話は一気に端折って、茶人である利休が秀吉の命で腹を斬らされたのは有名な話ですが、その原因には諸説あります。


  ただ、秀吉は「詫びを入れてくれば許そう」と思っていたと言われますが、命乞いをすることもなく最後まで意地を通した利休の生き様には、道を究めた人間の凄みを感じます。



  茶道と言えば「茶室」が付きものですが、ご存知の通り狭い部屋に、躙口(にじりぐち)と言われる狭い入口があります。


  帯刀したままでは通れないようにしていると聞きますが、そう言えば確かに茶室の入口横は刀などの武器を掛けるように作られていますね。


  茶室の入口を通れば、「身分・階級の違い」や「敵・味方」などを超越して、一人の人間と人間として、「もてなす側がもてなされる側に、一期一会の茶をもてなす」という極めてシンプルなホスピタリティがあるのですね。


  何の特別なセレモニーもなく、ただ淡々と一期一会を尽くすということは、虚飾横行の現代日本では根本的に学び直したい心のように思えます。



  私は茶道の心得もなく、凄い茶器を持っているわけでもないのですが、その心だけは実践しようと10年以上続けていることがあります。


  それは、「初めていらっしゃった方には、必ず私自身が抹茶を点ててお出ししよう」ということです。


  作法にも何にもこだわらず、ただ一服のお茶を美味しく飲んでいただこうという心を実践していきたいのです。



  いつかは私も作法をきちんと学んでみたいとは思っていますが、今は「その道の心」を大切にしたいと思っています。


  今日も最近ご縁を頂いた会社の社長さんから、「先生の事務所の近くに東京営業所があるから、近いうちに『茶を一服所望』」とメールをいただきました。


  運がいい時にしか和菓子の用意はありませんが、「うん、やはり抹茶はいいねー、美味いよ!」とおっしゃって頂ければ、また改めて日本人で良かったとつくづく思うはずです。


 2011.9.17  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝

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続・「葉隠(はがくれ)」

  先日リリースした「葉隠」が、かなり端折った感じでしたので、今日は『続「葉隠(はがくれ)」』で、もう少し書いてみたいと思います。(阿部龍太郎著 葉隠物語 参照)



 葉隠は山本常朝(じょうちょう)が藩士の田代陣基(つらもと)に口述筆記させたものであることは先日書きました。

 同僚が酒場で藩の重役の息子を斬ってしまい、田代が藩主への助命嘆願書を書くことになり、
その嘆願書の書き方が僭越(せんえつ)だという理由で、牢人を命じられ、「皆を代表して書いてくれ」と頼んだ同僚たちからも裏切られ、山本常朝に一目会ってから腹を切ろうと、出家していた常朝の庵を訪ねました。




 まるで腹いせのように切腹しようと思っていた陣基は、常朝に武士道の未熟さを諌められ弟子入りすることになったのです。






 佐賀鍋島藩では傑物のことを曲者(くせもの)と言ったそうですが、「葉隠」は戦国以来の鍋島の傑物伝と言ってもいいでしょう。




 戦国の世、藩祖鍋島直茂は龍造寺隆信の家臣でした。



 沖田畷(おきたなわて)の戦で龍造寺隆信が討死し、共に討死しようとした鍋島直茂は武将の中野清明に担ぎ上げられて難を逃れました。




 その豪傑の中野清明が山本常朝の祖父で、豪胆でずけずけと殿に直言・諫言(かんげん=いさめる言葉)する姿がこの葉隠の武士道の一つとして印象的です。




 同様に命懸けで諫言するつわものが多く登場するのは、前回の「さて気にかなはざることは、いつ迄もいつ迄も訴訟すべし」、『残念ながら殿が判断ミスをしようとしている時には、自らの死をも恐れず、「諫言
」をし続けよ!』ということの歴史的根拠だと思います。





 山本常朝の時代には大きな戦もなく、武士が官僚化していたのですが、常朝は切腹の介錯人を二度経験しています。



 戦の経験もなく、人を斬ったこともないのに、切腹した人の首を一太刀で斬り落とさなければならないというのは、筆舌に尽くし難い心情でしょう。






 さて話を戻しますが、その後豊臣秀吉に見込まれた鍋島直茂は、紆余曲折を経て龍造寺との主従逆転となり、佐賀35万石の国主となります。




 藩祖鍋島直茂・初代勝茂の時代までは、戦乱の世から江戸時代への移行期です。




 山本常朝が仕えたのは二代藩主光茂でした。




 それまで伝統的に主君が亡くなった時には、御傍に仕えた藩士が何人も追腹(殉死)を斬るというのが普通でした。



 光茂は江戸の安定期になっても討死・追腹を願うという佐賀藩の家風を問題視し、追腹禁止令を出しました。




 元々光茂は和歌を極めたいという殿様であり、一流の文化人であったそうです。




 光茂が亡くなった時に山本常朝が出家したのは、この追腹禁止令があったからです。





 山本常朝は幼名を松亀といい、九歳から藩主光茂に仕えましたが、初お目通りの時に「殿に直接口をきいてはならない」という作法を、緊張のあまり忘れて直接名を名乗るという失態を犯します。




 その時藩主光茂から「今後は不携と名乗れ」と言われ、「不携とは、用いないということだ」と思い絶望しますが、後に「携えずとも役に立つ」という意味だと解り、命懸けで殿にお仕えすると心に誓うのです。




 後に「権之丞」「神右衛門」と名を改め、光茂亡き後に出家して山本常朝を名乗りました。







 前回は端折ってしまいましたが、三代吉茂の世継ぎに決まった鍋島信濃守宗茂に「鍋島武士の心得とする」と請われ、全十一巻に亘る「葉隠」を田代に口述筆記させ、宗茂に贈呈したのです。




 その際、田代が写本を一部作っていて、山本常朝に所有を許されたのですが、「必ず秘蔵し、誰にも見せず、死ぬ前に必ず燃やせ」と言われていました。




 私見ながら、きっと田代は「師匠の命令に背いてでも後世に遺したい」と考えたのではないでしょうか。







 「武士道とは死ぬことと見つけたり」の意味は、登場人物の様々な逸話から「毎日死ぬつもりで生き抜けば、小事に惑うことはない。覚悟が足りないからイチイチ狼狽えるのだ」と読めてきます。




 どんな時代に生まれても、決死の覚悟で生き抜いて、正義を貫き通すことこそ『武士道』ですね。




 正しい『武士道精神』を伝承していきたいものです。





 これからまた飛行機に乗って出張ですが、出掛けにリリースできたので、少し背筋が伸びたような、、、。


 2011.9.13  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝

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「葉隠(はがくれ)」

 今日は久しぶりに銀座でフレンチを食べてきました。


 格式ばったお店とは違い、ここは知らずに入ったら焼き鳥屋さんだと思うかも知れません。


 ところが抜群に美味いのです。ソムリエもいるし、ワインリストもずらり。


 直球待ちのバッターが、フォークボールを投げられたような感じ。


 うーん、例えがイマイチだけど、、、。美味いものは美味い。

 


 そのお店ではフランスの一流の岩塩を使っていたのですが、「パタゴニア・ソルト」が一番美味くて体にもいいよと教えてあげました。

 あ、「伯方の塩」もいい塩ですが、、、。


 「水」とか「塩」とか、意外とこだわりがない人も多いですが、いい塩は「減塩不要」とか「生理的食塩水にすれば、即目薬として使える」という話も聞きます。


 いいものを知っておくというのは、新たな効用を生みますね。


 「パタゴニア・ソルト」を使いたいという方は、私の友人(一回り以上年上の大先輩)の会社が扱っていますから、ご紹介しますのでご遠慮なく。

 


 さて今日は「白露(はくろ)」、二十四節気の
15番目です。


 まだまだ厳しい残暑を感じる日も多いとは言え、ここから「秋分」「寒露」「霜降」と冬に向かっていき、だんだんと年の瀬を意識していきますね。

 

 台風12号が猛威を振るい、土砂崩れなどで道路が寸断され、未だ孤立している集落もあります。


 また、世界遺産の熊野那智大社では裏山の崖が崩れ、本殿など複数の建物が土砂で埋まるという大きな被害状況のようです。


 度重なる災害に心を痛める毎日ですが、先日もこの欄に書いたように「事前に備えることができることはやっておく」「備えを済ませて、いざの時には慌てて動かない」ことが大事です。

 

 12号の復旧もままならない中で、次の台風14号が迫っています。


 私はこれから日曜日まで都内で合宿研修で、火曜日から広島の予定です。


 年中、飛行機や新幹線の移動で、気をもまなければなりませんが、、。


 可能性がある限り、手段と方法を駆使して仕事に向かうのは、プロとして当たり前のことです。


 とは言え、決して犬死するような手段を選んでは、「見識なき愚挙」を演ずる者にしかなりません。

 

 

 貴乃花が横綱推挙伝達式での口上で「横綱の名を汚さぬよう、不撓不屈の精神で相撲道に不惜身命を貫きます」と言ったのをご記憶の方も多いでしょう。


 「不惜身命」、この身も命も惜しむことなく頑張るという覚悟の言葉は、道元禅師の『正法眼蔵』の中に出ている言葉ですが、武士道精神を象徴する言葉の一つでもあると思います。

 


 佐賀鍋島藩の「葉隠(はがくれ)」をご存知ですか?!


 鍋島藩士山本常朝(やまもとじょうちょう)が藩主亡き後に隠居し、その見識を惜しむ藩士田代陣基(たしろつらもと)が教えを乞いに行き、山本の口述で鍋島藩士としての心得を学びました。


 「メモってもいいけど、必ず破って焼き捨てろ」と言われたものが、捨てるに忍びなく「葉隠」として後世に遺されたものです。

 

 山本常朝は田代に「どのような御無理の仰せつけをこうむろうとも、又は不運にして牢人・切腹を命ぜられたとしても、少しも主君を恨むことなく、一の御奉公と存じて、未来永劫に鍋島のことを第一に案じる心入をなすことは、御当家の侍の本意にして覚悟の初門」と教えました。


 その後に『武士道とは死ぬことと見つけたり』という有名なフレーズが出てくるのです。


 戦中教育などで、そこの「潔く散れ」の部分だけが悪用されて、アレルギーをお持ちの方もいるかも知れませんが、残念でならないことです。

 

 では『武士道とは死ぬここと見つけたり』とは死と献身の絶対服従なのか?!というと、そうではないと思います。


 続きに「さても気にかなはざることは、いつ迄もいつ迄も訴訟すべし」とあります。


 『残念ながら殿が判断ミスをしようとしている時には、自らの死をも恐れず、「諫言
(かんげん)
(いさめる言葉=前向きな意見具申)」をし続けよ!』ということです。


 つまりそれが「未来永劫に鍋島のことを第一に案じる心入」で、続いて書かれている「御国家を固め申すが大忠節」となるのです。

 

 『イエスマンでは本物にはなれない!会社を守り、存続・発展のために命をかけ、本気で命を張って立ち向かった者だけが本当のリーダーシップを身につける!』と、現代語意訳したいところです。

 であればこそ、「不惜身命」の反意語の「可惜
(あたら)身命」「但惜(たんじゃく)身命」という言葉は「身も命も惜しみ通せ、犬死しては何のお役にも立てない」ということになります。


 この反意語にして表裏一体の、「不惜身命」・「可惜身命」「但惜身命」をいつもバックボーンに持っていたいものです。

 「可惜身命」「但惜身命」で、御身大切になさってください。

 私たちは「意味があってこの世に生かされている」ということだと思いますので、「不惜身命」の真実の意味を噛み締めて生きたいものです。


2011.9.8  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝

経営戦略・マーケティング戦略・営業研修・営業セミナー・ビジネススキル研修など、お問い合わせ・ご依頼をお待ちしております。

「ストロング・マネジメント」

 台風12号による想像を絶する被害が出ています。


 被害に遭われた方、ご関係の方には謹んでお見舞い申し上げます。




 先日も書きましたが、備えようもない災害もありますが、事前に想定できることも多くあります。


 「大変なことになったから慌てて何かをする」のではなくて、大切なのは想定が出来る限りは「大変になる可能性があるから、事前に何をしておくべきか」ということです。



 私の口癖ですが、『「悲観的準備』を整えた者だけに「楽観的行動』が許される』ということではないでしょうか。


 中国古典で言えば『尽人事而自拓道』、人事を尽くして天命を待つのではなく、「人事を尽くし続ければ、自ずと道は拓ける」と理解したいところです。





 経営においての「クライシス・マネジメント」「リスク・マネジメント」というの、全く同様であろうと思います。


 常に先行管理をして、先のリスクに対処しておくことが肝要です。



 リスク・マネジメントに於いても、テーマにプライオリティ(優先順位)をつけて、重要な順に実行に移すのが鉄則。


 そこで必要なのは、上司がしっかりと「ストロング・マネジメント」の姿勢を取ることです。


 「ストロング・マネジメント」の姿勢とは、「何故このプライオリティの判断が必要で、何を成し遂げるために、何をしようとしているのか」を部下にしっかり・はっきりと示すことです。

 つまり言い換えれば「明確な意思を具体的に示す」ということですが、意外にそれができない上司が多いのです。

 上司は部下の不出来を嘆き、部下は上司のピンボケした指示に「また訳の分からんことを言っている」と、面従腹背にならないまでも「面従腹笑」(あ、思いつきの造語です。福笑いの方がいいのですが、、)になっていることが多いのです。



 経済学をはじめとして、あらゆる学問は社会や人様の役に立つことを目指して発展してきました。

 企業活動も経済のメカニズムの一部ですから、「ストロング・マネジメント」のベースには「人間愛」が不可欠です。

 レイモンド・チャンドラーが小説『プレイバック』の中で私立探偵フィリップ・マーロウに言わせた『タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない』というセリフを思い出します。


 あらゆる意味で「己が弱い」というのはマネジメント以前の問題でしょうし、上司が強くたくましくいてくれないと部下は不安です。



 そして、優しさと人間愛に裏打ちされた「ストロング・マネジメント」こそが、きっと後悔をしないマネジメントになるのではないでしょうか。


 今から新幹線で大阪です。乗り遅れそうなので、今日はこの辺で。(「クライシス・マネジメント」欠落?!)


 2011.9.5  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝

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「技術」も「職人魂」も日本の宝

 例年のこととは言え、また大型で強い台風12号がゆっくりとした速さで北上を続けています。

現在の予想では、9月2日か3日に四国~東海に上陸する恐れがあるようです。

 考え得る備えは、やっておいた方がいいですね。


 私は来週の5日から大阪の予定ですが、この分なら台風通過後の移動になり
そうです。



 仕事柄、いつも全国の週間天気予報を見るのが日課となっていますが、何も
移動が多い仕事だけとは限りません。


 ゴルフ場などの屋外スポーツ施設などは、「雨の予報」は「キャンセルの予感
・予報」だし、「涼しい」となれば「アイス」や「ビール」の売り上げも落ちるでしょうし、その他にも和菓子の「水ようかん」や「葛菓子」などもそうですね。


 鍋物屋さんは暑いと鍋が敬遠されて、寒くなると一気に忙しくなる傾向もあり
ます。

 であればこそ、季節の人気メニューの開発をするか、暑い季節に大汗をかきな
がら熱い鍋を食べることの「ヘルシーさ」や「通(つう)」を訴えたいところです。


 こんなことを書いていると「食いしん坊の虫」がウズウズしてきますね。



 いよいよ9月の下旬頃から美味いトラフグのシーズン幕開けで、「てっさ(フグ
刺し)」「てっちり(フグちり鍋)」に「白子焼」「ひれ酒」、、、


 ご存知の方も多いでしょうが、フグのメッカである下関では「ふく」(福)と
呼び、大阪では、「当たると死ぬ」というシャレで「鉄砲」とも呼びますね。


 フグ刺しが「てっさ」、フグちり鍋が「てっちり」と呼ばれるようになったの
は、豊臣秀吉の朝鮮出兵にまで遡ります。


 朝鮮出兵の際に、肥前名護屋城に駐屯した兵が、次々とフグ毒中毒死したため、
秀吉は全国にフグ禁止令を出したそうです。


 とは言え、あまりにフグが美味いので「鉄砲の刺身」という隠語で「てっさ」
と呼び、「鉄砲のちり鍋」で「てっちり」と呼んだそうです。


 その後も、武士は「主家に捧げなければならない命を、己の食い意地で命を
落とした輩」として、当主がフグ毒で死んだ場合には家名断絶等の厳しい対応が取られたそうです。



 食通が「舌がしびれるくらいがウメー」なんて言ってた話もありますが、フグ
の毒にあたって亡くなった方のほとんどは、免許のない素人料理を食べた結果だそうです。


 今やフグはプロの料理人による最高の味覚になり、命懸けのご馳走ではなくなり
ました。



 私が常々「東京で一番美味い上にリーズナブル」と言っているお店が、神田駅
の近くで須田町1丁目交差点近くの『恵比元』(03-3256-8168)です。


 是非一度、足を運んでみてはいかがですか?!


 「私の公式サイトを見て来た」とおっしゃったら、私のキープ・ボトルの「魔王」を一杯だけ
ご馳走します。(初来店時の限定ですよ。)



 今年の初め、前述の『恵比元』の大将は仕入れたトラフグに納得がいかないと、
全部焼きフグにしてしまいました。


 見たぞ!プロの意地と心意気!


 あ、そうそう。フグだけでなく魚はとことん美味い。金目鯛やメバルの煮付け
なんてもうたまりません。


 まだまだどの分野の仕事人も、「職人魂」「プロ魂」をほとばしらせて、「てやん
でー」なんて言いながら頑張ってほしいものです。


 「技術」も「職人魂」も日本の宝です。



 2011.9.1  ビジネススキル研究所  鶴田 慎一  拝

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